「初代ガンダム」の小説が電子書籍で読めました。小説版の人間臭い登場人物と、記憶にある登場人物との違いに戸惑い、そして新鮮でした。
小説版の機動戦士ガンダムは、子供の頃にアニメで見た内容とは異なるところも多く、何より登場人物の人間性のギャップに驚きました。
アニメは子供向けに、出来るだけ爽やかに表現していたのだと思います。
ガンダムの登場人物は癖のあるキャラクターが多いと思っていましたが、小説版ではそれがもっと顕著に表れているようでした。
あくどい大人の考え方や純粋でない恋愛事情、肉体関係、素直になれなくも精一杯に生きる人々の人間模様がありました。
ガンダムの面白いところは、ロボット戦争的なSF要素は大きいですが、私はそれ以上に作中で重要な位置にあるのが「ニュータイプ」という概念だと思います。
「新しいタイプ」いつの時代も先駆者は苦労するようです。
アムロを筆頭にガンダム周辺の人々が、「ニュータイプ」の感覚に目覚めたことでの葛藤と、旧い概念との戦いがあるようでした。
ガンダムがこのような物語だとは、露程にも思っていませんでした。
もしかしたら未来の世界像だけでなく、人の未来像や可能性をガンダムを通して表現されているのかな?と思いました。
人間臭さがある普通の人間が、新しい価値観に向かって挑戦してゆくようなイメージです。
「ニュータイプ」は旧い概念に囚われて怒るのはおかしいけれども、旧い概念の「オールドタイプ」が引きずっている価値観とは、闘わなければならない。
それが戦争のない世界であっても。
そのようなニュアンスの言葉がありました。
「ニュータイプ」「オールドタイプ」双方共に考えさせられるようで、この小説版の機動戦士ガンダムを読んでみて良かったです。
この作中での「二ュータイプ」とは?
「ニュータイプ」とは、てっきり超能力者のことを表現しているとばかり思っていましたが、小説を読んでみてそれとは少し違うニュアンスだったのだと分かりました。
覚醒した凄い人のようなものではなく、人間同士分かり合える能力に長けた人が「ニュータイプ」のようなのです。
人々が自然に理解し合うことができ、協調し合い調和のとれた未来を描ける人、描こうとする人、なんかそのような人を「ニュータイプ」と表現しているようでした。
凝り固まった固定概念の外側を見ることができ、そこに行ける人、そんな感じでした。
その「ニュータイプ」が葛藤に悩みながら、未来に向けて生きようとしている世界が「ガンダム」の世界だったようです。
時代を先取りして生まれてきた人の苦悩を見えました。
HanaAkari