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「苦しかったときの話をしようか」/ビジネスマンの父が我が子のために書きとめた働くことの本質 森岡毅著 を読んで

苦しかったときの話をしようか〈日本人〉作品を読んで
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親バカだから、苦しんだからメッセージに魅力と力があるのだと思います。

森岡毅氏のことについては、あの低迷していたUSJV字回復させた立役者だという認識だけがありました。

私はビジネスのことにはあまり興味がないので、普段ビジネス関係の書物は読むことはないのですが、たまたま書店で見かけた「苦しかったときの話をしようか」という本のタイトルが気になり、手に取りました。

冒頭部分を立ち読みしてグッと心を捕まれてしまったのと、社会的に成功を収めている森岡氏のような人物の、「苦しかったとき」は一体どのようなものだったのだろうか?と素朴な疑問というか興味が湧きましたので、一読することにしました。

元々は自分の子供の為に書きためていたものだという点も、気になった部分でした。

これから社会という大海原に向かって漕ぎ出す我が子の為に、森岡氏が自らを親バカだと称しながらも、深い愛のあるメッセージを自らの経験を踏まえて、熱く伝えようとしているのに感動しました。

数字を使ったり、論理的な事が苦手な私には、経験もないのでノウハウのような部分は理解出来ないところもありましたが、時折出て来る、素の部分の森岡氏の言葉が面白く、見事に的を衝いているような、切れ味のいい表現がとても良かったです。

こんなことを言うと精魂込めて、このメッセージを世に出して頂いたご苦労に対して失礼になりますが、顛末部分の「未来の君へ」の項を読むだけでも一読の価値があると思いました。

とても感動しました。

どのような年齢でも立場でも関係なく、多くの人の心に何かしら伝わるものがあると思います。

USJ

私が「苦しかったときの話をしようか」を読んで、好きだった箇所を抜粋してみます。

「そもそも人間は平等ではない」

では、希望とは何か?最大の希望は、「それでも選べる」ということだ。

自分の人生をコントロールする「選択肢」を握っているのは実は自分自身しかいない。

私は、資本主義の本質は人間の「欲」だと考えている。

君もよくわかっているとおり、世間の常識から見ると私はかなりの「変人」である。世間と折り合いをつけるのは子供のときから難しかった。自分が良いと思うことをやればやるほど、世間と衝突し、世界は私に罰を与え続けた。私のポジティブな意図が周囲にはなかなか理解されない、そういう星に生まれついている。私は空気を読むのも得意ではない。珍しく空気が読めていたとしても、その空気に従うことはもっと苦手だ。

私の母親は幼少期の私を「非常識!」と非難したし、小学校から私を知っている君の母親も「もう、昔からずっと社会性がない!」と昨晩も私を非難した。もはやつける薬はない。

このときは悪い人じゃないと思われたかったのだなと。やはりこの頃の自分は甘ちゃんだったと思う。良い人とか、悪い人とか、この後にもはやどうでも良くなることを、このときの私はまだ知らなかったということだ。

君はきっと不安だろう。でも、結論から言えば、君がこれから成長する限り、その不安はずっとなくならない。でも大丈夫だ。その不安には慣れるようになるから。そして不安と同居する君は、不安を燃料にしてどんどん強くなっていくだろう。はっきり言うと、不安なのは君が挑戦している証拠だ。

失敗しない人生そのものが、最悪の大失敗ではないのか?

最後の項「未来の君へ」全文。

親孝行

HanaAkari

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