昭和慕情満載です。昭和のあの頃にタイムスリップしてしまいました。
「阿久悠と松本隆」この二人は昭和を代表する作詞家で、私は阿久悠氏の作詞した曲が絶頂期だった頃は、まだ幼すぎて直接の記憶は少ないのですが、松本隆氏がそれに続いて時代を席捲する頃の曲は、直接の目撃者だと思います。
当時は、大晦日になると家族そろってテレビで〈日本歌謡大賞〉を見て、その流れから〈紅白歌合戦〉を見るのが年の瀬の恒例でした。
ですから、興味のある歌以外にも当時の演歌やムード歌謡なども自然と耳に残っています。
「阿久悠と松本隆」には、二人の作詞家の作品だけでなく、あの時代の歌謡事情とヒット作品の情報をまるで、あの頃テレビに食い入るように見た「ザ・ベストテン」のようなテンポで年代ごとに紹介されているので、記憶の断片が次々に甦ってきて、時間を遡って楽しめました。
どうやら私の記憶は小学三年生の頃から急に強く残っているのが分かりました。
1980年、阿久悠氏が作詞した曲で、演歌歌手・八代亜紀さんの「雨の慕情」は強烈に憶えています。
演歌が苦手だった子供の私でも妙に興味をそそされるものでした。
翌年1981年には松本隆氏が作詞した曲、寺尾聡氏の「ルビーの指輪」の空前の大ヒットも忘れない記憶として残っています。
また、阿久悠氏の作詞、西田敏行氏が歌った「もしもピアノが弾けたなら」も好きですね。
どうやら年を重ねると、情緒のある歌の後腐れ感に惹かれやすくなっているのが分かりました。
子供の頃は、一体何が良いのかさっぱり理解出来なかったしみったれた感傷的なものほど、今では震えを覚えます。
ピンク・レディーのヒット曲の多くは阿久悠氏が手掛けたもので、松田聖子さんのヒット曲の多くが松本隆氏によるものだったというレジェンドよりも、情緒の方が勝ってしまうのものなんだと可笑しく思いました。
阿久悠氏の作詞の影響力の凄いエピソード。
ピンク・レディーの歌「UFO」は阿久悠氏によるものです。
ずっと「ユーフォー」という言葉に何の疑いも持つこともなく生きていましたが、外国人と話した時に「ユーフォー」というのは和製英語であり、外国人には通用しないことを知りました。
歌の始まりで「ユーフォ」って言うのを何度も聞き、インスタント焼きそば「UFO」も「ユーフォー」ですから、てっきりそうだと思い込んでいたのですが、実際は「ユー・エフ・オー」と言わないと通じませんでした。
でも日本人の多くが「ユーフォー」で疑うことなく生活していると思うのですが…
松本隆氏の作詞の造語は素敵です。
近藤真彦氏「スニーカーぶる~す」、松田聖子さん「赤いスイートピー」の始まりで、「春色の汽車に乗って…」の「春色」なんかは凄い表現だと思います。
昔はそのまま聞き流していましたが、「春色」とはどんな色なのか想像が広がります。
寺尾聡氏「ルビーの指輪」の冒頭も素敵です。
「くもり硝子の向こうは風の街 問わず語りの心が切ないね…」
「風の街」、哀愁漂う心に隙間風が通り抜けて行くような寂しい街でしょうか?
HanaAkari