- ラオカイ〈Lao Cai〉
国境の町。中国から橋を歩いて渡りベトナムに入国。
- サパ〈Sa Pa〉
高原の町。少数民族の地。ラオカイからその日の内に到着。
- ハノイ〈Ha Noi〉
ベトナムの首都。フランス統治下の影響で街にレトロな落ち着いた西洋建築が多く、お洒落な雰囲気があった。
このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。
【ハノイ】印象深い観光はホーチミン廟|旅の玉手箱 ベトナム編-3
【ハノイ】
「サパ」からローカルバスに乗って「ハノイ」に着いた時は、暑いと感じました。
しかし街に街路樹が多く、建物は石作りの装飾にこだわりがある昔の西洋建築(日本の明治時代の西洋建築のような)が多かったので、アジアという雰囲気ではなく、落ち着いた心地の良い場所だという印象を持ちました。
大きな木が木陰をつくり、その下ではベトナムの人々がアジアらしく路上で商売をしているが、西洋建築と特に違和感なく融合していました。
私が宿泊した安宿もこれが安宿なのかと思うようは、昔の西洋の名残りがあるような居心地の良い所でした。
石作りの建物が周囲にある中で、道端で植物で出来た円錐形の蓑笠を被ったおばさんが、野菜を売っているという光景が見られ、静かな中にも活気があるようでした。
円錐形の蓑笠は「ノン」と呼ばれているようで、ラタニアの木の葉から作れれている伝統の笠で、一般的だったのでしょう、よく目にしました。
あと「アオザイ」です。
女性の魅力を強調するようなチャイナドレスに似たスラッとしたデザインで、上着の長い丈の両脇にスリットが入っているので、時折脇腹の部分に素肌がトライアングル状にあらわになり、セクシーな民族衣装でした。
シュッとした体系の多いベトナムの女性にはとても似合っているように思いました。
今の「アオザイ」事情は分かりませんが、当時は女性の「アオザイ」姿は普通に多く見られ、伝統衣装を着て生活している人が多いのだと驚きました。
日本に置き換えると、「きもの」を着て町中を歩いている人が普通にいるといった具合になりますので、日本では「きもの」は日常とはかけ離れてしまっていますが、ベトナムでは伝統衣装と日常が共生していました。
人生初の「フォー」を食べたのがハノイの露店でしたが、ハノイの「フォー」はとても美味しかったです。
「フォー」に限らず、食べ物はベトナム北部の方が美味しかったと思います。
私の好みを基準にしますと、南下するにつれて食べ物の味が低下していったように思います。
北部は中国に近いので食文化にその影響があり、私の好みに近かったのかなと推測しています。
「フォー」の上に薬味としてたっぷりと乗っていた「パクチー」も初めて食べましたが、これまでに味わったことがない独特の味と香りでしたが私はとても気に入り、今でも「パクチー」好きは継続しています。
【ホーチミン廟】社会主義国にある革命者の祀り方
ハノイ観光で一番記憶にあるのは「ホーチミン廊」です。
ベトナム建国の父ともいわれる「ホー・チ・ミン」のお墓になりますが、特徴的なのは遺体に防腐処理をして冷凍保存され、実際に見ることが出来たことです。
蝋人形のような感じでしたが、少々複雑な気持ちになりました。
時の英雄を冷凍保存する文化は、旧ソ連邦建国の父「レーニン」から始まり、社会主義の国にある形態ですが、私には理解できない感覚です。
当時は興味本位で見学に行きましたが、改めて今考えてみても理解できない発想で、どんなに偉大な人物だったとしても、人を神格化するのはいい感じがしないですし、そのようなことから何か歪なことになっていくのではないのかと思ってしまいます。
偉大な人物から学ぶことは多く、とても大事な事だと思いますので正確な思想や歴史を伝えてゆき、そこから学んでいけたら素晴らしいのですが…
空から「ホー・チ・ミン」氏はどのように感じているのでしょうか?
HanaAkari