このブログは私がバックパッカーとして、2000年11月~約半年の間に二度目のインド・ネパールの旅で訪れた仏教聖地を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。
【ガンジス川に消される⁉】危うい軽率な行動によって|旅の玉手箱 アクシデント編-16
【ガンジス川に消される⁉】
私は思慮の足らない言動により、インド〈バラナシ〉の写真屋で大勢のインド人に取り囲まれ、袋叩きに遭う寸前になりました。
事の経緯ですが、その時私はガンジス川の沐浴風景とシヴァ神で有名なヒンドゥー教の聖地〈バラナシ〉から10km程の距離にある仏教聖地〈サールナート〉に滞在していました。
写真を現像しようと思い〈バラナシ〉の写真屋に行きました。
その時に私が使用していたカメラは普通のネガフィルムではなく、APSフィルムという仕様(ネガが容器に完全に入っていて手で取り出せない)のコンパクトなネガフィルムで、専用の機械でないと現像が出来ないものでした。
APSの仕様は日本では普及していたけれどもインドでは見掛けなかったので、〈バラナシ〉の写真屋では「このフィルムは現像可能か?」と散々説明をした上でのことですが、写真屋が「出来る」と言ったのを真に受けてしまったのです。
インド人の「OK」という言葉はそのまま信用できないと分かっているつもりでしたが、念には念を押しましたし、騙されないぞという意味も込めて、〈サールナート〉の日本寺に滞在しているからとインド通ぶっておいたものですから、大丈夫だろうと思い込んでしまったのです。
そして手付金を払い、〈サールナート〉に戻りました。
後日、お寺にいるとその写真屋がなぜか寺までやって来たのです。
現像した写真を持って来たと言ったので不吉な予感がしたら、まさにその通りの出来事となりました。
写真は現像できていたのですが、預けたAPSフィルムのケースを破壊して中からネガを取り出したらしく、ネガは幾つにも不揃いに寸断されていて無惨でした。
ネガの現像はそれで出来たのでしょうが、ケースと一体化したAPSフィルムは台無しです。
ですから散々説明して可能かどうかを尋ねたのに…インドではよくある価値観の違いによるトラブルでしたが、久しぶりに一気に頭に血が上ってしまい、手付金を返せと口論になりました。
向こうは残りの金を払えというし、収拾がつかなくなりました。
この時、たまたま地元の有力者がお寺に居たので、その方が間に入って一旦その場は収まりました。
が、どうしても納得がいかなかった私は、手付金を返してもらおうと翌日単身〈バラナシ〉の写真屋に乗り込んで行ったのです。
暴言により周囲のインド人を全員敵に回し、危うくガンジス川に消されるような事態になりました。
私は〈バラナシ〉の写真屋に一人で乗り込み、手付金を返せと店主に迫りました。
まず驚いたのは店主の態度がお寺に居た時とまるで別人で、横柄な態度が尋常で無かったことです。
どうやら私は飛んで火に入る夏の虫になったようでした。
ここでひるむと相手の思う壺だと思い大きな声で文句を言い続けていると、店の前には多くの人だかりができ、寄ってたかって私に文句を言っているのが分かりました。
完全に四面楚歌に陥り、分厚い人垣に取り囲まれて逃げることも出来ません。
〈バラナシ〉で地元の者と揉めると袋叩きに遭い、ガンジス川に流されて行方不明にされるという噂話も知っていましたから、これは本当に不味いことになったものだと内心焦りましたが、もうどうすることも出来ません。
ただ隙を与えるとヤバいという気持ちからひたすら吠え続けるだけでした。
そんな状態をしばらく続けていると、店の電話が鳴りました。
店主が対応したのですが、なぜか私に代わるように言うものだから受話器を受け取ると、昨日お世話になった〈サールナート〉の有力者でした。
「私が話をつけるから、君は命の危険があるからすぐに戻ってくるように」とお叱りを受けました。
それで解放されたのです。
それから教わったことと、色々な反省点。
私は頭に血が上って軽率な行動に出たので周囲が見えていませんでしたが、誰かが手を回してくれて助けてくれたので大事に至らなかったのです。
今から考えると前日に写真屋がお寺に来た時に、地元の有力者が居たことも偶然では無かったのだろうと思います。
その他周囲の人々のお陰でした。
それから私が四面楚歌に陥った理由を教えてもらいました。
私は冷静さを欠いて暴言を吐いたわけですが、その時に「インドの馬鹿、インド人の馬鹿」と言ったことで、インド人の反感を買ってしまったのです。
インド人は自分の国に誇りを持っているから、そのような言葉は御法度であり、喧嘩する時でも「お前は馬鹿」というのなら当事者間だけの問題だから大丈夫だが、お国に対する侮辱はインドでは禁句だと教わりました。
本当に軽率でしたし、お国に対して強い誇りを持つという感覚は、当時の私には薄かったのでとても考えさせられるものとなった出来事でした。
HanaAkari