旅の玉手箱【ゴーラクプル】〈インド編-10〉

※本サイトはアフィリエイト広告を利用しています。
旅の玉手箱 〈インド〉 旅の玉手箱〈インド編〉
スポンサーリンク
インド国内での動き
  • カジュラホー
    Khajuraho
    当初の予定ではアーグラ〉から〈バラナシ〉に向かう予定が間違った汽車に乗ったことで、イレギュラーで行くことになりました。その後〈サトナー〉という場所まで移動して〈バラナシ〉近くまで列車で移動しました。
  • バラナシ
    〈Varanasi〉
    〈サトナー〉から〈ムガール・サライ駅〉まで列車に乗り、ついにやってきました。〈ムガール・サライ駅〉は〈バラナシ〉からガンジス河を挟んだ対岸にある駅でした。この時〈バラナシ〉には一カ月程滞在しました。
  • ゴーラクプル
    〈Gorakhpur〉

    ネパールへ行くためにの中継地として、一泊しました。次の日にはネパールとの国境の町〈スノウリ〉まで移動し越境、そのままネパールの〈ポカラ〉まで行きました。

  • ポカラ
    〈Pokhara〉

    ネパールで初めて滞在した場所です。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

スポンサーリンク

【ゴーラクプル】通常はネパールへ、寄り道ならクシナガルへ|旅の玉手箱 インド編-10

【ゴーラクプル

インドからネパール、ネパールからインドに陸路で移動する際には必ず立ち寄る場所と思います。

これといった名所などがなくても、移動の途中に中継地として立ち寄る場所はありました。

〈ゴーラクプル〉はまさにそのような場所で、多くの旅行者が立ち寄るのですが観光地ではないので、これといった印象が残っていないのです。

一カ月程滞在した〈バラナシ〉から、ビザの有効期限が切れるのでネパールに向かう途中に一泊しました。

次の日には朝早くからネパールとの国境がある〈スノウリ〉まで行き、意外と簡単にネパールに入国できました。

そのままローカルバスでネパールの〈ポカラ〉まで、一気に移動しましたが、こちらは過酷な道のりでした。

崖沿いに走る道は細く、今にも落ちるのではないかと心配になる程なのに、運転手はもの凄い速度でバスを走らせて行くので気が気じゃないのですがどうしようもないので、ひたすら悪路をバスに揺られるのに身を任せていると、夕方頃には〈ポカラ〉に到着したと思います。

疲労は相当ありました。

この一年後くらいにもう一度インド、ネパールに行ったのですが、その時は主に仏教聖地を尋ねてみたのですが、ゴーラクプルの近くに〈クシナガル〉という仏教聖地があります。

お釈迦様が亡くなった場所で、涅槃仏の横に寝そべった仏像がその時の情景を表しているようです。

ブッダ入滅の地です。

涅槃仏

仏教四大聖地の一つ〈クシナガル〉、ブッダ入滅の地。

〈ゴーラクプル〉にはこれといった観光場所はなかったのですが、少し足を運べば〈クシナガル〉があり、そこはお釈迦様が入滅した場所として仏教の四大聖地のうちの一つです。

お釈迦様が生まれた場所がネパールの〈ルンビニ〉、悟りを開いた地〈ブッダ・ガヤ〉、初めて説法をした〈サールナート〉、そして亡くなった場所〈クシナガル〉がインドにあります。

私が〈クシナガル〉を訪れた時は、本当に何もないような田舎町でした。

他の仏教聖地には日本を始め仏教国とされる国々の寺院が建立されていて、仏教への力の入れようが窺えましたが、〈クシナガル〉だけは例外でした。

盛り上がりにかけるというか、日本の仏教関係者が建てた「南無妙法蓮華経」と彫られた石碑も、放置されている感があり、うら寂しい雰囲気でした。

しかしながら、お釈迦様入滅の地だけに寂れて寂寥感が漂っている方が、似合っているような気もします。

この世は無情であるとする仏教ですから、悪くないと思います。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す、おごれる人も久しからず、だだの春の夜のごとし」

沙羅双樹はお釈迦様が亡くなった際に、その場所にあったとされる樹で、仏教では聖樹とされています。

もの思いにふける

HanaAkari

タイトルとURLをコピーしました