旅の玉手箱【ジャカルタ】〈インドネシア編-4〉

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インドネシア国内の動き
  • メダン
    〈Medan〉

    前日の強行移動の疲れを癒す間もなく、一晩寝た後に、ニアス島へ向けさらなる過酷な移動をしました。

  • ニアス島
    〈Nias Island〉
    スマトラ島〉西側にある島〈ニアス島〉には夜行のフェリーに乗って行きました。〈メダン〉から〈シボルガ〉という港町まで行き、その日の夜行のフェリーで〈ニアス島〉には翌日の朝に到着しました。
  • ブキティンギ
    〈Bukittinggi〉
    ニアス島〉から夜行フェリーにてスマトラ島に戻り、その日のうちに〈ブキティンギ〉の町まで行きました。
  • ジャカルタ
    〈Jakarta〉
    インドネシアの首都。〈スマトラ島〉の町と違い、〈ジャワ島〉に入り突然、大都会が出現したので衝撃は強かったです。その頃、インドネシアの経済が酷く荒れていて、通貨は暴落し、各地で暴動が起こっていたのですが、〈ジャカルタ〉でも日本人のビジネスマンが殺害される事件がありました。タイムリーで〈ジャカルタ〉に居たのですが、現地では平常通りの町の営みがあっただけで、特に緊張するような出来事には遭遇しませんでした

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【ジャカルタ】ニュースと実際のギャップを経験|旅の玉手箱 インドネシア編-4

ジャカルタ】

首都の喧騒、迫力にはどこの国に行っても、初めは圧倒されました。

ジャカルタもまさにそんな感じでしたし、地方との差が大きかったで、なおさら衝撃は強くありました。

ジャカルタ

あの頃インドネシアの経済が破綻していて、インドネシアは経済的にとても不安定な時期でした。

インドネシア通貨は暴落し、各地でお金を持っている中華系の人々のお店が破壊されたり、暴動が起こったりしていたのですが、内側にいるとそのような気配は微塵も感じることは無く、大半の人々は日常の生活を淡々と送っているように見えました。

ジャカルタに滞在している時に、日本人のビジネスマンが刃物で襲われ死亡する事件が起こりました。

それは現地のニュースで知ったのですが、同じジャカルタに居ながらも、対岸の火事というのか、危険な感じを意識するということにはなりませんでした。

しかし、日本の母親に国際電話を掛けた時には、母親は大騒ぎしていました。

少し、ヒスを起こしておりました。

時々日本の両親(特に母親は心配性だったので)には国際電話を掛けて、元気でやっているということは報告するようにしていたのですが、ジャカルタで日本人が殺されたというニュースは日本のニュースでは大きく報じられていたようで、その時に私は今、ジャカルタにいると伝えたものですから、母の動揺ぶりは尋常では無かったです。

日本のニュースでは、とても大変な事態がインドネシアで起こっているような伝え方だったようで、母はずっと心配していたようです。

そんな折に渦中のジャカルタに居ると言ったものですから、慌てたようです。

今のようにインターネットの時代では無かったので、情報量も限られていて、テレビのニュースが伝える内容を鵜呑みにする傾向が強かった時代です。

何度も何も問題ないし、大丈夫だと伝えても納得してもらえませんでしたが、心配を掛けたことについては不可抗力だとはゆえ、申し訳なかったと思います。

あの出来事では、それまでテレビのニュースをそのまま信じていた自分と、実際に現地を肌で体感している自分とのギャップを考えるいいきっかけになりました。

結論は「ニュースは鵜呑みにしてはならない」「大袈裟すぎる」「誇張されている」です。

参考にはするけれども、丸々信じることは出来ない。

実際に日本人のビジネスマンが殺害されたのは事実だったけれども、その他諸々の尾ひれは嘘八百に近いようなことでした。

この姿勢は今も変わりませんし、良い勉強をさせてもらえたと思います。

もちろん事件に巻き込まれてしまった当事者にとっては、苦悩の渦中にありますので見える景色は全く違ったものになりますから、そこを無視することは出来ませんが、それが全てではないということ体感しました。

ジャカルタ

都会ならではのデパート散策で、またしても買い物熱が止まりませんでした。

ジャカルタは当然蒸し暑い所です。

そのうえ都会ならではの車の排気ガスなどで、空気の重みのようなものがあったので、なおさら過ごしにくいい感じがありました。

そんな時は冷房の効いた涼しい場所に避難するのが一つの逃げ道で、ジャカルタはそれが出来ました。

デパートは最適でした。

このデパート散策で、民芸品好きの私には欲しいという衝動が抑えることが出来なくなる物を見つけました。

「ワヤン・ゴレ」です。

人形劇用の操り人形ですが、ここで見つけたものは実際に人形劇に使用するようなものではなく、お土産や飾り用の立派なものでした。

凄く垢抜けた「ワヤン・ゴレ」でした。

マレーシアで中古の「ワヤン・ゴレ」を買って、持ち歩いていたにも関わらず、さらにここで二体の「ワヤン・ゴレ」を買ってしまいました。

ワヤン・ゴレ
ワヤン・ゴレ

ニアス島でも民芸品を購入していたので、私のバックパックの中身は半分くらい民芸品で占められてしまいました。

人形は壊れるといけないので、段ボールの箱で厳重に梱包したので、余計にかさばっていました(笑)

この頃になると一緒に旅をしていた友人は呆れて、もう何も言わなくなっていました(笑)

HanaAkari

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