- タワウ〈 Tawau〉
インドネシアの〈ヌヌカン〉から船で、東マレーシア、サバ州〈タワウ〉に入国しました。その日のうちにサバ州〈サンダカン〉まで行きました。
- サンダカン〈Sandakan〉
大正時代の頃、売られてきた日本女性が娼婦として働いていた売春宿があった場所として有名です。遠い異国の地で亡くなった日本人売春婦のお墓もありました。近郊にある〈セピロック・オランウータン保護区〉へもここから日帰りで行きました。
- コタキナバル〈Kota Kinabalu〉
記憶がなく宿泊したのかどうかは定かではありませんが、ここから〈ブルネイ〉に向かって船に乗りましたので、宿泊したとしても一晩だけで、次の日には〈ブルネイ〉を目指したと思います。 - ラブアン島〈Labuan〉
〈コタキナバル〉から高速の船で〈ラブアン島〉まで移動し、また別の船に乗り替えて〈ブルネイ〉に向かいました。 - ブルネイ〈Negara Brunei Darussalam〉
正式には〈ブルネイ・ダルサラーム国〉。首都の〈バンダルスリブガワン〉に数日間いました。
このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。
【バンダルスリブガワン】裕福バブリー王国|旅の玉手箱 ブルネイ編
【バンダルスリブガワン】
1998年の3月12日にタワウから東マレーシアに入国してから、サンダカン、コタキナバルを経てブルネイのバンダルスリブガワンに入国したのが1998年3月16日ですので、今から思うとかなり駆け足で移動をしていたんだなという印象です。
これからしばらく先にインドに行った際に、私の旅に対する価値観も含め、様々なことに対しての価値観が変わることになるまでは、速足の旅行スタイルだったのは間違いがないのですが、これ程までに早く移動していたとは思いませんでした。
若くて体力があったから可能だったのだと思いますが、今だったら過密に旅のスケジュールを組み立てないスタイルを選択すると思います。
あれもこれもと捨てがたいでしょうが、取捨選択をして的を絞ることでしょう。
どっちのスタイルを選んでも何かがあるのは間違いないですので、どっちが正解ということはないのですが。
コタキナバルから早い船でラブアン島まで移動して、そこから船で出国しブルネイの首都、バンダルスリブガワンに到着した時は夕方近かったと思います。
YMCAのユースホステルがあったので、そこに泊まりましたが、宿泊客は他に誰もいませんでした。
バンダルスリブガワンはブルネイの首都ですが、大都会の景色にある高層ビルが立ち並ぶような町ではなく、小綺麗なこじんまりとしたところでしたが、小さいけれど石油や天然ガスの天然資源が豊富な大変リッチな王国なのは間違いなかったです。
ブルネイ国王の大富豪ぶりが随所に見られました。
旅行者の間で、とにかくお金持ちの国だという噂話がされていました。
私が聞いて一番驚いたのは、国王が人気絶頂の頃のマイケル・ジャクソンを貸し切って国民の為に無料のコンサートを催したことです。
マイケル・ジャクソンを貸し切りで⁉
当時のマイケル・ジャクソンはアーティストのキングような存在で、とんでもない人物で雲の上の存在でしたので非常に驚きました。
またマイケル・ジャクソンが自宅兼プライベート遊園地「ネバーランド・ランチ」を建てたことが話題に上りましたが、マイケル・ジャクソンがブルネイでコンサートを行った場所が、ブルネイ国王が自費で国民の為に建てた無料の遊園地「ジュルドン・パーク」だっというのも、マイケルの上を行っているようでたまげた話でした。
ジュルドン・パーク(ブルネイ国王が自費で国民の為に作った遊園地)
自費で広大な遊園地を作って、しかも当時は無料で運営していたので(現在は有料)、なんともバブリーなことでした。
開園から6年間は全て無料だったようで、私が訪れた時は、嘘のような話ですが本当にそうでした。
しかも全然混んでいなくて、全てのアトラクションに待ち時間ゼロで次々に乗れるので、調子に乗って全部体験してやろうと思い、速足で園内を回りましたが、果たして嬉しいのかどうなのかは疑問で、非常にくたびれのを思い出します。
一つのアトラクションに何時間も並んで待つというのも好きではありませんが、程よく少し待ち時間があった方が一息付けていいのかもしれません。
もしかしたらアトラクションの待ち時間も含めてが、遊園地の醍醐味なのかもしれません。
ジェットコースターに乗った時です。
それまで絶叫マシーンはすぐに終わってしまうのが残念に思っていたのですが、乗り過ぎ注意だということを知りました。
観光客が他にいなくて、多分珍しい外国人が来園したことでサービス精神が出たのでしょう、円を描いて回転する遊園地の目玉アトラクションのようなジェットコースターを、何周も回ることになりました。
終着場所に戻って来たのにロックは開かず、また動き出したのです。
勝手にアンコールされて二周目に突入しました。
ジェットコースターを連続して二周目に乗れるなんて贅沢だし、初めはそのサービス精神が喜ばしかったのですが、流石に三週目に突入した時には、心地良いジェットコースター酔いも度を越し気分が悪くなりました。
スタッフも遊び心から、いたずら心に火が着いたようで、やんちゃな笑みを浮かべて「グッドラック」と親指を突き立てたりするものですからたまりません。
三週目が終わりかけた時には「ストーップ!」と若干怒って叫んでいました。
ジェットコースターのおかわりは一回で十分です。
豪華なイスラム建築二つのモスク
イスラム教国の特徴として礼拝場所のモスクがあります。
バンダルスリブガワンには、二つの大きなモスクがあり、イスラム教徒以外でも見学ができるので行ってみました。
古くからあるオールドモスクと、1994年に建てられたアジア最大級のニューモスクがありましたが、イスラム建築の豪華さと幾何学模様はとても魅力的で、一歩足を踏み入れるとイスラム教徒でなくても厳粛な気持ちになりました。
モスクに入る前には足を洗って入るのですが、大理石の豪華な足洗い場は、足をかざせば自動で水が出て来る仕組みになっていて、現代風なところにも驚きました。
まさに「ゴージャス」という言葉がぴったりでした。
他の国とはかなり異なった雰囲気の「水上家屋」。貧困層の住宅のはずが…
アジアの国々には貧しい人が暮らす「水上住宅」が見られますが、バンダルスリブガワンにもありました。
水上住宅は桟橋ような木製の道で繋がっていて、何件もの家が縦横無尽に繋がった状態になっており、水の上に小さな町があるような感じでした。
桟橋を歩いて見学させてもらいましたが、人々は穏やかでシャイな印象を受けました。
家の中をこっそり覗かせてもらったのですが、テレビや扇風機、その他生活の為の白物家電などは一式あり、貧しいという感じはしませんでした。
水上の上に家があるというだけで、部屋の中の生活は当時の私の暮らしと、さほど変わるようには思いませんでしたが、それもそのはずでブルネイは所得税と住民税はなく、国民は教育費や医療費は無料という、お金持ち国家の王道をいく珍しい国ならではの社会があるからでした。
嘘か真か?水上住宅に住む人が出勤する時には、ボートで岸まで行き、岸に停めてある車に乗り替えて行くという噂話を聞いたことがあります。
事の真相は確かではありませんが、現地を見た感じからすると、あながち本当ではないかと思った次第です。
HanaAkari