- カーニャクマリ〈Kanyakumari〉
インド最南端からインドの中央地帯をかなり強行して北上していきました。 - メットゥパヤラム~〈Mettupalayam〉
〈ニルギリ山岳鉄道〉の起点になる町。この町に宿泊した記憶がないので、早朝初の山岳観光列車に乗る為に夜行列車でここの到着し、そのまま〈ニルギリ山岳鉄道〉に乗り継いで〈ウーティ〉に向かったと思います。 - ~ウーティ〈Ooty〉
避暑地として開発されたリゾート地です。標高が高いので暑くなく過ごしやすかったですが、少し肌寒いくらいでした。
- マイソール〈 Mysuru〉
1947年までマイソール王国の首都だっただけあって、宮殿は豪華で見ごたえがありあした。カルナータカ州になり、デカン高原地帯にやってきました。
このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。
【マイソール】豪華絢爛な王宮が身近に|旅の玉手箱 南インド編-13
【マイソール】
古都の落ち着き、伝統の持つ優雅さ、歴史がある所にはそれだけで優位な雰囲気があると思います。
1947年までマイソール王朝の首都として繁栄した〈マイソール〉には、そのような印象を持ちました。
〈マイソール〉は行動範囲の大半が歩いて行ける範囲にあったのでかなり歩き回りましたが、調子よく楽しめた一因に、外国人に近寄って来て濡れ手に粟のビジネスを企むようなインド人には、会わなかったことがあります。
なので町中を歩いていて煩わしい気分になることはありませんでした。
南インドの町では大抵そうでした。
宿泊した安宿の近くにこの町のハイライトでもある王宮がありました。
豪華絢爛で、かつての王国の権力、財力を象徴している見事なものでした。
夜にはライトアップされ、その景観も素晴らしかったです。
チャームンディーの丘・・・女神チャームンディーの伝説
女神〈チャームンディー〉は、破壊の女神〈ドゥルガー〉と同一視される、殺戮の恐るべき女神です。
〈マイソール〉の南側に〈チャームンディーの丘〉と名付けられた小高い丘があり、その丘にはチャームンディー・シュワリー寺院があります。
凶暴な女神〈チャームンディー〉が、この地を支配していた「魔神マヒシャ」を退治した伝説の場所です。
インドには凶暴な女神が色々いますが、母性の裏返しのような意味合いがあるのかと思います。
母の子を想う愛の強さは甚大で、その愛が逆の方向に作用して暴走したのが、殺戮の女神たちとして表現されているのだと考えます。
愛の深さが場合によっては執着になり、反転して憎悪となってしまうような…それでも無関心よりはマシなのでしょうか?
「鬼子母神」のようなものだと思います。
HanaAkari