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旅の玉手箱【マンダレー】〈ミャンマー編-3〉

旅の玉手箱 〈ミャンマー編〉旅の玉手箱〈ミャンマー編〉
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ミャンマー国内での動き
  • ヤンゴン
    〈Yangon〉
    タイの〈バンコク〉から飛行機ですぐでした。ミャンマーの人々はおおらかで穏やかな人々が多く、過ごしやすかったです。ただ当時は軍事政権で、おかしなことがあるものだという違和感はありました。そして一度民主化が果たされましたが、軍事政権によるクーデターが2021年2月に起こり、目に余る行為を報道で見にします。どこに向かって行こうというのでしょうか?一部の人間が国のことよりも個人の利益だけで動いているような気がしてなりません。
  • インレー湖
    〈Inle Lake〉

    少数民族が湖上に住居を作り独特の生活を送っていました。非常に興味をそそられた水上住宅がありました。

  • マンダレー
    〈Mandalay〉

    〈ヤンゴン〉に次ぐ大きな町であり、古都としての面影もありました。お坊さんを多く見かけました。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【マンダレー】電話局と国際電話|旅の玉手箱 ミャンマー編-3

【マンダレー

活気があった記憶があります。

東南アジアの仏教国には定番の金ピカの寺院が多くあり、お坊さんも多く見かけました。

マンダレーヒルと呼ばれる丘の上に立派なパゴダ(仏塔)があり、参道になった階段をひたすら上って頂上まで行きました。

山頂には真摯にお参りするミャンマーの方々が多くいました。

真剣にお祈りするミャンマーの方々の姿から、当時は神や仏などには全く興味がなかった私でも、何かこう心の底の方をくすぐられるような感触は感じていました。

祈り

実際に数カ月後にインドに行ってから、精神性や仏教に突如興味が湧いて一気に傾倒していったので、その前に準備段階として経験させてもらえたのかもしれません。

まさか自分が精神性に興味を示すなどと考えたことも無かったので、あの時は頂上から広がる景色の壮大なことや、綺麗な石畳に身を携えながら天空の宮殿にいるような、独りよがりな感慨に耽っていました。

それ以外に細かい記憶は思い出せませんが、この町で食べたアイスクリームがとても美味しかったというのも憶えています。

そして、大きな電話局から日本にいる親に電話を掛けたことは、電話での内容が驚くものだったので、はっきりと詳細まで憶えています。

マンダレー

電話局からの国際電話の仕組みが、私の世代でも日本では無くなっていた形式だったのが面白かったです。

母親が心配性だったのもあり、数カ月に一度くらいは日本に国際電話を掛けて、無事に旅行していることを伝えていました。

マンダレーから日本に電話したのを憶えています。

当時でも日本ではすでに見ることは無く、古い時代設定のドラマや映画などでしか目にしたことのない電話局からの電話でした。

大きな電話局は西洋建築の石造りだったと思います。

中は多くの人でごった返していて、とても騒々しくて、これは明治時代から昭和初期のような電話局のような感じではないのかな?と思いました。

実際にその時代の電話局は見たことはありませんが、なんらかの映像で見たような、ちょっと電話を掛けるだけでも様になり、ステータスが高い人が行うようなイメージの電話模様です。

混雑している中、受付けで国際電話を掛けたい旨を伝えると、壁際にいっぱい並んだ電話機の一つを使うように指示されました。

簡単な間仕切りがあったような無かったような…個別のブースにはなっていなかったのは確かです。

隣の人が電話で話す声は丸聞こえでしたし、人々の雑音で絶え間なくうるさかったです。

日本では経験することが出来ないスタイルは、タイムスリップをして少し前の時代に戻ったようで面白かったです。

「電電公社」の文字が思い出されました。

マンダレー 坊さん

日本の親に電話して母に元気で楽しんでいることを伝えると、珍しくその時は父もいて電話口に出てきました。

そして驚くことを私は聞いたのです。

弟が近しい人だけでハワイで結婚式を挙げるから、ハワイに来いというのです。

弟が結婚することには何の驚きも無かったのですが、いきなりハワイに来いと言われても困ったものでした。

ミャンマーの内陸部のマンダレーにいるのに、ハワイとは…

急いでバンコクに戻ってから日本に帰りハワイ行きに同行するか、バンコクからならどこかを経由しての便ならハワイ行きはあるかもしれないかも?と一瞬考えましたが、無茶はしたくなかったのと、旅を中途半端にしたくも無かったので、私は旅を続けるという選択を伝えたのでした。

あの頃は弟とは仲が悪いわけでもなく、かといって仲がいいということもなく、お互いに一切干渉することのない、仮面兄弟のようなものだったことが、そうあっさりと決断できた理由でもあると思います。

たまたま電話したから知ったことでしたが、弟も何処にいるのかも定かでない私を予定に入れて挙式の計画を立てるはずはないので、そんなものだと思います。

ただ、タイミングが違っていれば、例えばバンコクにいる時にそのことを知ったなら、旅行は終了して、弟の結婚式に出席しただろうとは思います。

今そういったことがあったことを思い出して、その後の旅のことや様々なことと照らし合わせて考えてみると、マンダレーからたまたま国際電話を掛けたことすら、何か意味があったのかな?と思えます。

あそこで旅行を止めるという選択をすることにはなっていなかったのだと思えますし、未練や後悔も一切ありません。

旅行だけでなしに生きているだけで、色んな不思議があることへの答え合わせは、いつか出来るのでしょうか?

生きることは不思議だらけです。

ミャンマー 糸車

HanaAkari

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