旅の玉手箱【ラストデリー】〈インド編-37〉

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旅の玉手箱 〈インド〉 旅の玉手箱〈インド編〉
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インド国内での動き
  • デリー
    Delhi
    韓国人Sが帰国するフライト日の二日前に〈デリー〉に戻りました。私も帰国の為の飛行機のチケットを購入する必要がありました。この時、〈レー〉で知り合った韓国人女性Nと再会しました
  • サールナート
    〈Sarnath〉
    帰国までの時間が二ヶ月を割っていたと思います。残りの時間を仏教聖地〈サールナート〉の日本寺で過ごしました。宗教や精神世界に興味を持つきっかけになったのがこの場所だったので、長旅の締めはここにしようと決めていました。コリアンNは〈バラナシ〉に行く予定だったので、共に行動することになりました。
  • デリー
    〈Delhi〉

    帰国のフライト日に余裕を持って〈デリー〉に戻り、最後は貧乏旅行にしては贅沢にお金を使って楽しみました。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【ラストデリー】酒に酔い後味あっさり|旅の玉手箱 インド編-37

【ラストデリー

いよいよ帰国の日が近づいているのだけど、一向にそんな実感が湧かなかったのは今から考えても不思議です。

少し余裕をもって〈デリー〉に戻り、いつもの安宿に部屋を取る…当たり前のような流れがあっただけです。

日本を出てから二年以上が経過していたので、何かしら感慨深いものが湧きあがってくるのかなと想像しつつ、気配のカケラもないまま、最後の〈デリー〉ということで毎晩、飲酒のできる場に繰り出しました。

インドでは飲酒はあまり一般的で無かったので、インド庶民の相場からすると高価なお酒でしたし、飲める場所も限られていました。

〈サールナート〉からずっと一緒に行動していたコリアン女性のNも一緒でしたので、ある時はその時に知り合ったコリアン、日本人の旅行者を誘って出かけました。

デリー

よく行ったのは〈コーンノートプレイス〉という、当時はデリーで一番の繁華街というのか、インドでは進んだ感じのした商業エリアにあった洋風ピザ屋です。

当時でも日本で食べるのと変わらないくらいの価格のイタリアンピザを食べながら、ビールを飲む。

そのお店は女性シンガーがピチTとピチピチのカラージーンズ姿で、生歌を歌っているという、大衆インドの様子からはまったく掛け離れたライブ空間が演出されていたので、インドらしくない感じが斬新で楽しかったです。

シェールの「ビリーブ」をよく歌っていました。

また客の金持ちのインド人の若者たちは、女性でも煙草を吸っていたので非常に驚いたものです。

伝統的な風習が色濃く残っていたインドで、女性が煙草を吸う姿を他では見かけたことはありませんでした。

ハイカラな空間だったのだと思います。

小汚い恰好の私の方が不釣り合いだったことでしょう。

結局最後まで、何の感傷もないままにインドを後にしました。

デリー

長く居たインドですから帰国日までに何かしらの思い出が甦って、後ろ髪を引かれることがあっても良かったと思うのですが丸っきり無かったです。

私は大阪出身ですが、帰国は旅で知り合った関東方面の友人を訪ねてから実家に戻ろうと考え、バンコク経由の東京・成田行きのANAでフライトしました。

コリアンNも同じ飛行機でタイ・バンコク行きでしたので、一緒にインドを後にしたのですが、当時コリアンがインドへのフライトに一番多く利用していたのがANAでした。

多くのコリアンがソウルから関西空港経由→バンコク→デリーと、その逆を往復するオープンチケットを利用していました。

飛び立った飛行機の窓からインドの町並を見下ろしても、「最後だな」といった気持ちだけが淡々とあるだけでした…

ただ、その時はまさか一年後に再びインドに行くなどとは、微塵も考えていなかったのですが…

HanaAkari

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