このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。
【レー①】魂が震えた場所|旅の玉手箱 インド・ラダック編-2
【レー①】
世界でも有数の標高の高い峠をいくつも越えた先に、人間の暮らしを感じさせる人工物の鉄骨の橋が現れました。
その橋を渡るとラダックの中心地〈レー〉の町まであと少しだったと思います。
さらに要塞のような建造物が現れて見惚れてしまいましたが、それが「ティクセゴンパ」でした。
「ゴンパ」とは僧院のことで多くのチベット仏教の僧侶が暮らしている場所です。
ラダックには数多くのゴンパが存在しますが、中でも「ティクセゴンパ」は非常に巨大で、迫力のあるゴンパでした。
「ティクセゴンパ」を横目にしばらく行くと、〈レー〉の町のバススタンドに到着しました。
バススタンド周辺にも人は住んでいますが、〈レー〉の町の中心街はそこから徒歩で少し登った先にありました。
歩いて回り切れるほどの小さな町ですが、チベット仏教色があちらこちらで見られ、私は心の奥から喜びが込み上げてきたのを思い出します。
それはしばらく滞在している間に、どんどんと増してきて、ここを去る時はどれほど後ろ髪を引かれたか分かりません。
名残惜しくて、惜しくて仕方がなかったほどです。
そして、その思いはその後のインド旅行中にも消えることがなく、じわじわと大きくなってゆき、ついには再度訪れようと心に決めることになったのです。
ラダックの挨拶言葉「ジュレー」=「こんにちは」
ラダック人の「こんにちは」「Hello」にあたる言葉は「ジュレー」でした。
親しみやすい響きですので、ラダックではよく挨拶に使っていました。
「ジュレー」
「ジュレ、ジュレ」
ゴンパなどに行ってみると僧侶の方が「ジュレー」と言いながら片手で合唱のポーズを、こちらに向けてくれました。
レーの町で私が面白いと感じたこと。
民族衣装がユニークで好きでした。
大半の人は伝統的な民族衣装を着て生活をしていませんでしたが、年配の方には民族衣装姿も見られました。
特に帽子と靴は面白く、帽子はちょっと道化っぽい山高帽のようで、靴も道化っぽっく先が細く上向きに反り返った形になっていて、色合いはカラフルで派手なようでまとまっていてお洒落でした。
チベット仏教とイスラム教が張り合っているように思いました。
この地はチベット仏教徒が多くいる地ですが、イスラム教徒もいるようでした。
そろらく西方のペルシャ系との混血のような外見のラダック人も多く見かけましたので、歴史的にイスラムの文化との交流があったのかと思いました。
目鼻がくっきりしていて、瞳が緑がかった薄い茶色の人が結構いて、混血らしさが見受けられました。
多くのラダック人は日焼けした日本人に似たモンゴリアンの容姿でしたが、そこにエスニックの気配が足されている感じで、インド系の要素とは違うようで、~~スタンの国の気配がしました。
それだからかチベット仏教の町〈レー〉にはモスクもありました。
何より面白かったのは、イスラム教とチベット仏教とが、音で競い合っているように思えたことです。
モスクからは四六時中イスラムのコーランの調べがスピーカーから大音量で流れていました。
一方負けじとチベット仏教のマントラ(お経)をヒーリング音楽のようにアレンジした音楽も、ずっと繰り返し流れていました。
お経も音楽とうまく組み合わせると、毛嫌いせずに聞けるもんだなとひねくれて考えたものです。
「オムマニペメフム」というマントラがずっと繰り返し繰り返し聞こえていました。
「オムマニペメフム」は広い意味では日本仏教では「南無妙法蓮華経」や「南無阿弥陀仏」のような感じになるように思います。
平穏をもたらす魔法の呪文のような感じでしょうか?
しかし、当時はコーランの調べとマントラが張り合っているのだと、下衆の勘繰りをしたのでした。
今思うとすれば、二つの宗教の最高の叡智が融合して、より素晴らしい空間を創造していたのかも?と前向きに捉えてみようと思います。
大半は乾燥した茶色い景色ですが、川沿いには木もあり緑があって独特の景観でした。
レー王宮址周辺の旧市街をはじめ、大半は乾燥しきった土と石の世界ですが、川沿いにだけ大きな木が聳えていて、緑が映えました。
雨が殆ど降らない高地(レーは標高3500メートル)ですし、冬は厳寒の地ですから、川沿いに限られた種類の木しか育たないのだと思います。
岩のある砂漠のようにも見えるかと思いきや、緑のオアシスのように見える場所もあり、見たことのない風景でした。
干しアンズが美味しかったです。
干しアンズが売られていて初めて食べたのですが、とても美味しく、あれ以来干しアンズは時々日本でも購入して食べるようになりました。
マナリーからのバスで知り合ったチベタン夫婦が、路上でお土産屋をしていました。
レーの町を散策していると、チベット人らしき人々がチベットのアクセサリー等を路上で売っているのをよく見かけました。
私がマナリーからのバスで知り合たチベット人のご夫婦も、空き家の軒先で小さなお店を開いていたので、同じバスのよしみで声を掛けました。
あちらも憶えていたようで、私が民芸品や伝統的なものが好きなのもあり、チベットの石とかアクセサリーを見せてもらいながら説明を聞くのが非常に面白かったです。
ラダックやチベットの人々が、数珠の玉を一つ一つ指先で送りながら、マントラを唱えているのをよく見かけましたので感化されて、この時はオリジナルの数珠でも作ってみようと思い、水色の石かガラスかの大きなビーズが輪っかになったネックレスのようなものを購入し、ワンポイントに天然石を一つあしらってみました。
派手で大きな数珠になりましたが、良く出来たなぁ~と自画自賛していました。
ただ、このご縁を頂いたチベタンのご夫婦が色々なチベットの石を、籠の中に無造作に入れている中に、一際目を引く大きな石があったのですが、私が初めて石に魅力を感じた石でした。
欲しいと思ったのですが、値が張ったのでその時は購入するのを諦めましたが、二度目に再会した時には思い切って購入させて頂きました。
今でも大切にしています。
何でもチベットにいる時に、おじいさんがヤク2頭と交換して手に入れた石だということで、ヤクがどれほどの価値があるのか分かりませんが、きっと貴重な家畜だと思います。
大きな天眼石(チベットでは御守りとして重宝されている)ですが、私は見た目から「ジュピター」と名付けています。
HanaAkari