このブログは私が想像で世界旅行に行ってみる、空想旅行記です。行ってみたい国や場所は尽きませんが、実際に全ての場所に行くことは現実的でなく、様々な事情で行けない場所もあります。そんな一切の事情を無視して、空想で世界各地に飛び出してみたくなりました。
【チェルノブイリ|ウクライナ】悲しみの連鎖が降り積もり、今も血の匂いと憎しみが止まらない|空想@世界一人旅
空想旅行社に「チェルノブイリ」に行ってみたいと相談すると、なんでそんな所に行ってみたいの?と不思議がられましたが、場所がら空想旅行で行ってみるのはある意味では正解かもしれませんね、なんて言われたのが、つい今し方のことです。
空想旅行社の方がパチンと指を鳴らすと、私は一瞬浮遊感を味わいマーブル模様のトンネルをくるくると回りながら漂っているうちに気を失ってしまいました。
目が覚めた私の目の前には寂寥としたゴーストタウンがありましました。
チェルノブイリです。
1986年4月26日午前1時23分にチェルノブイリ原子力発電所は事故を起こしました。
大きな悲しみが人々を襲い、その後もこの原発事故の余波は収まらず、悲しみの連鎖は続きました。
大きな力を背伸びして利用しようとしたことの副作用は、その恩恵を遥かに超える代償となってしまったように思います。
電力によって人々の生活は豊かで便利になり、なくてはならないものではありますが、原発事故での心の痛手や地球の痛手は目に見えないけれども、こういった事故の経験から学習して次へ向かうまでは決して癒えることはなく、悲哀は積もる一方のように感じます。
ああ、日本は原子爆弾を世界で唯一落とされた国なのに原発が好きなんだなぁ、しかも二回も落ちたのに。
二度あることは三度あるで、2011年3月11日には東日本大震災によって引き起こされた津波によって福島の原発が大事故を起こしたのになあ。
三度目の正直で、気が付かないといけない何かがあるんじゃないかなぁ。
ああ、それなのに核兵器を後ろ盾にして脅迫するような輩もいるんだから、たまったもんじゃないなあ……
「空想ガイドさん、このチェルノブイリには深い悲しみがジンジンしているのに、なんかそれよりもこの国には今も大きな悲しみや憎しみが増大しているようですね…」
空想ガイドは言いました。「血の匂いがしますね、まったく…犯罪の匂いも…」
一息ついてから空想ガイドは続けました。
「この国のザポリージャ原発なんか、戦争の道具にされたようですね、まったく…そこまで行くとどうかしてるとしか言いようがありませんね、まったく…」
空想ガイドさんは、遠くの空を見上げました。
「ただでさえ人には手に負えない原子力発電所を、どんな理屈があれ戦争の道具にして、脅迫したりする行為は、病気ですよね、暗黒に支配されたダースベーダー病ですよ」
付ける薬はないのでしょうか?
罪に罪を重ねている行為が平気でできるのは、もう人ではないように思います。
罪の上掛けで前の罪が帳消しになるというのでしょうか?
もし付ける薬が、天災のような神の鉄槌だとしたら、巻き添えになる真面目に一生懸命生きている人や地球の生物にとっては酷すぎます。
天誅は個別に起こって欲しいものですが、きっと神の目からすると連帯責任なのでしょうね。
まったく…
「夏草や兵どもが夢の跡」 松尾芭蕉の句が風に乗って聞こえてきました。
自然は健気だと感じます。
目の前の夏草はあれだけの原発事故があったここでも、今では何事もなかったかのように風に揺れています。
今は人が住めなくなったこの場所に、かつての人々の暮らしの痕跡はうらびれて、時と共に風化してゆくのみなのに…
「夏草や兵どもが夢の跡」なぜか松尾芭蕉の句が聞こえてきました。
太陽の光は地球に誰隔てなく平等に降り注いでいるのに、人はいつまで経っても「諸行無常」の悲しみから逃れられない、草は存分にその恩恵を享受しているだけなのに…
地球だっていつでも黙って恵みを与えてくれているのに、どうして感謝の心で上手に活用させてもらわないで、わざわざ小難しくして原発のようなものを正当化するのだろう?
わざわざ難儀なことにする必要はないと私は思っています。
そうして自分を正当化することで、自らをがんじがらめにしているようで、どんどん泥沼にはまってしまうのが好きなのかもしれない…
そろそろ権力や利権といった泥沼から抜け出る時なのではないでしょうか?
最後に空想ガイドさんに一言。
空想ガイドさん、ありがとうございます。
現実は厳しくても空想は無限ですから、助かりました。
もしかしたら空想ガイドさんようなガイドさんが、空想の世界を導いていくと現実社会も変わっていくのかな?
空想の無限大の力に期待しようかな。
前向きで善良な空想ガイドさんでお願いします。
HanaAkari