このブログは私が想像で世界旅行に行ってみる、空想旅行記です。行ってみたい国や場所は尽きませんが、実際に全ての場所に行くことは現実的でなく、様々な事情で行けない場所もあります。そんな一切の事情を無視して、空想で世界各地に飛び出してみたくなりました。
【福島第一原発|日本】開いた口が塞がらなかったあの日。津波の映像が本当のことだとは信じられなかったあの日。|空想@世界一人旅
空想旅行社に行ってみたい場所を伝えると、「やっぱりね、あんたならそうすると思ったよ」と言われてしまいました。
2011年3月11日、東日本大震災が起こった時はテレビに映される映像が本当のことだとは思えなかったです。
まるで映画の中で、CGを見るようでフィクションのように感じたのです。
思考の域を超えた事象の前では、脳味噌も考えることを諦めていたのだろうと思います。

続けて福島第一原発がメルトダウンを起こし、未曽有の放射能被害が発生するというニュースで連日大騒ぎとなったことが、今もなお記憶に新しいですが、それとは反対に遠い過去のことのようにも思えてなりません。
人の住めなくなった場所に、空想ガイドと二人だけでいると虚無感に押し潰されそうになりました。
この時には空想ガイドも「もう説明はいらないでしょ」とばかりに一言も喋らず、じっと佇んでいるのみでした。
想定外の自然災害だった…何度も聞きましたが、私はあの時の映像を見てからは自然に対して人間が的確に想定することが出来るとは到底思えません。
人知で何でもできると思ってしまうことが、何かの間違いなのかもしれません。
根本的に考え方を見直す必要があるかのように、この殺伐とした風景が語り掛けてくれているようです。
自然を征圧するのではなく、畏れ敬い、共存できてこそ本当の人知と言えるのではないでしょうか?

人は本当に追い込まれると魂から奮い立ち、自己犠牲も厭わない崇高な魂となる底力を秘めているのが分かりました。
空想旅行では空間だけでなく時間も関係なく、自由に動き回ることが出来ます。
原発事故という壊滅的な事態を目の前にしながら、その時出来ることに最善を尽くした人々の奮闘ほど崇高なものはないのでしょう。
我が身を捨てて、放射能の漏れ出る福島第一原発で、これ以上に最悪の事態にならないように、必死に戦って下さった方々の姿には、神にも匹敵するような光が溢れ出ていました。
神は人を試すのでしょうか?
追い込まれた時にほど真価を発揮するのが、人の魂でしょうが、酷い話です。
魂から奮い立った英雄が現れるのは、素晴らしいことかもしれませんが、出来ることならそのような試練を与えられるよりも、そのような大袈裟なことにならないように、常日頃から努力する方が賢明なように思います。
一人一人がみんなそれぞれ英雄なら、英雄に頼ることなく、崇拝することもなく、物事はスムーズに進んでいくのではないでしょうか?
人の奥底に崇高な部分が秘められているのなら、わざわざが強烈な刺激で心をえぐられてから奮起するのではなく、いつでもどこでも当たり前のように顕現できていたら…
やはり追い込まれないとダメなんだろうか?

空想ガイドが口を開きました。「人には想像する力があるのだから、不可能ではないと思うのですが…」

ずっと黙っていた空想ガイドが、突然喋り始めました。
「人には想像力があるのだから、あえて苦しみを背負う必要はないのではないでしょうか?追い込まれなくても本当の魂に目覚めることは不可能ではないと思うのですが……まったく、このことは私には本当のところ分かりかねますね」
「でもね、私は空想ガイドですから、想像力に期待しているのですよ、うん、きっとそうであって欲しいですね、まったく…」
空想ガイドが言うことは確かにそうだなぁと感心していると、空想ガイドはさらに話を進めました。
「あなた、〈Fukushima 50〉という日本の映画を見たことがありますか?あれなんか先ほど私たちが見た光景を映画にしたものですから、きっと心に刺さる何かがあるのではないでしょうか?」
空想ガイドの言うことはもっともだと思いました。
私は一度映画館で〈Fukushima 50〉を見ましたが、感動で心が揺さぶられました。
きっと想像力だけでは直接強烈な体験をする程には及ばないでしょうが、感動の繰り返しと積み上げがじわじわ効果を発揮してくるのではないかと感じています。
また少しでもそこから学習することが出来たら幸いなはずです。
HanaAkari