「気は心」とは贈り物などの行為の中に、贈り物の金額や量の多少に関わらない、「真心」のことです。
自分一人ではなかなか解すことが出来ないものが、本当に些細なことから雪解けを迎えるようなことが起こったりします。
心のこもった事には、人を「癒す」効果があると思いました。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【気は心】贈り物で雪解けが起こりました!|言葉の小槌101
【気は心】
「気は心」という言葉が思い出され、嬉しい気持ちになりました。
「気は心」とは贈り物などの行為の中に、贈り物の金額や量の多少に関わらない、「真心」のことです。
私は自分自身を振り返って考えてみた時に、年を重ねてゆく度にプレゼントとか、人からの親切心が逆に怖く感じることが多くなってしまっていました。
大袈裟に表現しますと「このプレゼントには何か裏心があるのではないか?」「こんなに親切にするのは、私を騙そうとしているのではないだろうか?」など、まず斜に構えてしまう素直でない自分がいるのが分かります。
このような性格ですから、人からプレゼントを貰ってもあまり素直に喜べなかったのです。
これまでに私の身の周りで起こった出来事が影響しているとか、過去の経験からそうなったんだと言うのは簡単なのですが、そういった事も影響しているかもしれませんが、私はなるべくそう思わないように努めています。
どんなことがあったとしても、そこからどうするのか?は他の誰でもなく自分自身なのだからと考えることから、今の自分に何が出来るのか?を考えるようにしていますが、身に沁みついた心の垢のようなものは、簡単には洗い流せないものでした。
自分一人ではなかなか解すことが出来ないものが、本当に些細なことから雪解けを迎えるようなことが起こったりします。
人の「真心」がこもった行為には、「癒し」の力があるようです。
私のように自閉気味で、毎日を過ごしているような者の、氷河のような心は溶けることはないと思っていたのですが、大切な友人が気を回してくれて、持ってきてくれた一つのケーキによって、とても暖かい気持ちになりました。
それなりに高価なケーキかもしれませんが、ケーキに感動したのではなく、ケーキから溢れ出てくる気持ちが嬉しくて、たまりませんでした。
自分一人では、氷河のように凝り固まっていた素直でない部分が、人の「真心」によって自然と解れていました。
ありがとうございます。
心のこもった事には、人を「癒す」効果があると思いました。
「ケー気」から「真心」が伝わりました。
まさに「気は心」です。
HanaAkari