平安な心境の時には、運命の出来事が起こったようで嬉しいような感覚だと思うのですが、私はこの「星の導き」が半分、恐れに感じていました。
結局は自分次第なんだという結論にしかならないのですが、私はどうしても「星の導き」を感じると、そちらに向かってしまうようです。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【星の導き】やるか?やらないか?怖れもあります|言葉の小槌104
【星の導き】
星とは何なのか?は置いておいて、「星の導き」に遇ったような感覚はあるのは確かです。
平安な心境の時には、運命の出来事が起こったようで嬉しいような感覚だと思うのですが、私はこの「星の導き」が半分、恐れに感じていました。
「星の導き」のような感覚は、そう何度も起こったわけではありませんが、出会った時には後先をあまり考えずに動いたものでした。
衝動というのか?止められない思いというのか?その結果、それまでの人生には無かった世界感を知ることにのなるのですが、それが全て良い結果となって人生バラ色になったとは思えません。
新しい発見があったり、気づくことがあったりしますが、時に大きな精神的苦痛になることが起こったものです。
そのようなことも時間が経過して客観的に見られるようになると、全ては今に繋がっているんだと思えるようになり、感謝の気持ちから頑張ろうと思えたりするのですが、それまでには苦しい、悲しい、辛いと様々な感情に苛まれたりしました。
「星の導き」の結果、一転して修行のような毎日を長く送ってしまうと、そんな感覚は忘れてしまっていて、目の前のことに精一杯で「星の導き」などは考える余地は無くなっていました。
それなのに突然「星の導き」を感じてしまった時には、なんとなく方向が分かっているのだけれど、そっちに足を向けるのが怖いと感じました。
何があるか分からないから怖いのもあるかもしれませんが、また手痛い目に遭うんではないかという恐怖です。
そんな時はどっちを選べばいいんでしょうか?
結局は自分次第なんだという結論にしかならないのですが、私はどうしても「星の導き」を感じると、そちらに向かってしまうようです。
「お人好し」の星の下に生まれたのでしょうか?
せっかく導いてくれているのだから、そちらに向かうのがいいんだろうと思ってしまうのは、そのような星の下に生まれたからなのかとも思ったりしますが、一体「星」って何なんでしょう?
私はどうも「お人よしの星」「思い込みの星」そのような星の下に生まれてしまいましが、最近は「もう、それでいいや」というように開き直れるようになり、「星」を好き勝手に楽しんでいます。
「変人の星」の下に生まれたのかもしれません。
よく考えたら星はいくらでもあるので、こちらからどの星を選んでもいいのではないかと思うようになりました。
数多の星が頭上にあるのに、たった一つの星だということは逆におかしいように思います。
今日はあの星にしよう、明日はあの星だという風に気軽に、お星様のエネルギーを拝借するのもありじゃないですか?
HanaAkari