どれだけ周囲の人から「短気」のことにアドバイスを貰っても、相手にとっては馬の耳に念仏だったことでしょう。
実に50年近い歳月も「短気は損気」だと認識しながらも、短気だったことが我ながら恥ずかしい限りです。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【短気は損気】分かっているが腹が立つのはなぜ?|言葉の小槌127
【短気は損気】
私は子供の頃から非常に短気で、すぐに頭に血が上る癖が治せませんでした。
よく「短気は損気」だと意見されましたが、そう言われても怒りを制御するのが全く出来なかったのです。
「短気は損気」とは文字通り、短気を起こすと自分が損するだけですよ、冷静さを失ってはいけませんよ、という意味です。
確かに損ばっかりしていました。
どれだけ周囲の人から「短気」のことにアドバイスを貰っても、相手にとっては馬の耳に念仏だったことでしょう。
「短気」を自覚し出した頃にはそれくらいは、自分の短気を認識はしていましたが、コントロールは下手なままでした。
なので、短気が原因で失ったものも多いですし、これまでやってこれたことは、周囲の人のお陰でしかありません。
大変ご迷惑をお掛けしましたが、何となく昔と自分自身の心の反応が違ってきたなと思えたのは最近の事ですので、実に50年近い歳月も「短気は損気」だと認識しながらも、短気だったことが我ながら恥ずかしい限りです。
「腹が立ったら横にする」がいい、とも言われました。
腹が立つ→腹を横にする。
面白い表現ですが、血の気が上るのを抑えようということです。
怒りによって立ち上がらずに、寝て鎮めたらいいですよ。
ですが、なかなかそうは出来なかった私からすると昔は忌々しかった言葉でしたが、今は面白いと感じることが出来るようにはなりました。
もちろん腹を横にするなんて芸当は出来ませんが、腹が立つことが少なくなってきたようには思っています。
一体何が「短気」を起こしにくくした要因なのかを考えてみました。
私は穏やかな人や口調で話す人が、本当に羨ましかったですし、意識して真似しようにも真似すら出来ませんでした。
ここに一つの原因があるように思います。
真似ができないのは、真似する気がないから。
穏やかな人に憧れはあっても、表面上は「短気は損気」だと認識しているので、真似してみようと考えるのですが、それは上っ面だけで、実は心の底からそうしたいと思っていなかったのだと思います。
高慢ちきなプライドが、勝っていたのだと思います。
あまりにも「短気」による失敗を繰り返したことが、少しづつ経験として蓄積したことが結果として良かった。
後悔先に立たずと言いますが、「短気」が原因で様々なことで頭を打ち、時には取り返しのつかない失敗もあったことで、気づくのに時間が掛かったけれど、苦い経験の繰り返しで、角が丸くなったのもあるかもしれません。
反省を繰り返し、周囲の人には反省だけなら猿でもできると何度も思われたことでしょうが、失敗が良い意味で地味に効果を発揮してきたのでしょう。
思い起こすと自分でも笑ってしまう程に、色々やりました(笑)
穏やかな性格の友人との付き合いで影響を受けた。
私は短気でも友人は穏やかな性格だったりで、知らない間に影響を受けたのはあるかもしれません。
環境に影響されるということはあると思います。
加齢によるもの。
歳を重ねたことで自然と丸くなってきたといえば、身も蓋もありませんがありそうです。
闘志が失せたともいえるので、やはり老化ということでしょうか?
ただ、年を取ると穏やかになると言われても、私がそうだったように今「短気」で苦しんでいる人にとっては、何の役にも立ちませんね。
多分、年を取ったということは、結局はそれだけ過ちを繰り返して頭を打ち続けたということだと思います。
痛い目に遭うと嫌でも考える機会になりますので、それが幸いしたのでしょう。
そう考えると独裁者のような人物は、周囲からの意見で頭を打つようなことになったりしないので、頭は良くても人間としての成長は止まってしまうのかもしれませんね。
残念ながら事実がそう語っているような感じはします。
HanaAkari