「陸の蓮華、水辺の蓮華ともに好きな花です」
また混沌とした人間社会の中で勉強して育っていくから、泥に染まらない「悟りの花」を咲かせることができるのですと教えて頂きました。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【蓮華】好きな花から勇気をもらい、仏の教えを知る|言葉の小槌24
【蓮華】
陸の蓮華、水辺の蓮華ともに好きな花です。
陸の蓮華によって春先の田んぼが一面ピンクに彩られる光景が、これからもずっと日本の風景として残っていってもらいたいですし、ただ美しいというだけではなく春の蓮華はマメ科の植物特有の、根に植物の三大栄養素の一つとされるチッソを固定できるので、その作用を利用した緑肥(土にすき込む)として、合理的な一面もあるので好きです。
水辺の蓮華にも「ロータス効果」という蓮の葉が水を弾く性質を化学的に再現した撥水加工がありますし、「ハスの花」は仏教において「悟りの花」とされ、仏教を象徴する尊い花ですが、「南無妙法蓮華経」で有名な「妙法蓮華教」は「絶妙なる蓮華の教え」と解釈するのでしょうか?蓮華も凄いですね。
詳しくは知人に日蓮宗のお坊さんをされている方がいますので、その方に任せたいと思います。
一つだけ教えて頂いたことで、言い得て妙で有名なことですが、「蓮は泥より出でて泥に染まらず」蓮はドロドロした泥の中から育って清らかな花を咲かせることから、「泥の中にあっても不浄に染まらず、善に輝き大輪の美しい花を咲かせる」といった意味があるそうです。
また混沌とした人間社会の中で勉強して育っていくから、泥に染まらない「悟りの花」を咲かせることができるのですと教えて頂きました。
対比があるから学ぶことができるという素晴らしい喩えだと思います。

でも「泥」に失礼なように思いますので、泥は泥として、蓮華は蓮華として見てあげてもいいのではないでしょうか?
エステでは「泥」はお肌に最良の効果をもたらす訳ですから、「宝石」ならぬ「宝泥」ということになりますので、泥も蓮華も同じようなものですね。
要は好みの問題ではないでしょうか?エステ好きには「泥」が魅力的に映るでしょうし、私のような花好きには「蓮華」は魅力的ですし。
でもシャンプーとコンディショナーは泥から作られたものを使っていますし、色々考えれば最終的に何でも良くなってきます。
私は「開いている蓮の花」よりも「蓮のつぼみ」の方が好きなのですが、最後にそのことで一つエピソードを書きたいと思います。
タイのお寺では大勢のタイの方が、生活の一部かのようにさも自然にお寺を参拝されていましたが、その際に一本の「蓮のつぼみ」をお供えしていくようでした。
そのような姿を何げに眺めていた時に、自然と言葉が出てきたのです。
「好きな花が一つ増えた」
一本の「蓮のつぼみ」のことですが、隣にいた友人に「何カッコイイことを言って」「キザだねぇ」と、からかわれたことが記憶に残っています。
確かにその時は照れ臭いような感覚はありましたが、今よくよく考えてみると「何もおかしなことではない」と思えて、むしろそのように自分に正直に生きることを大切にしようと思います。
蓮華の徳の一つに、「一茎一花の徳」というものがあるようで、「蓮華は真っすぐに伸びた一本の茎に一つの花を咲かせることから、人は誰もが唯一無二な存在であり自分に信念を持って、人生を歩んでいくことが大切です」と教えてくれています。
まさにこのことです。
HanaAkari