「また祖母の住む長屋は相当古めかしくて、細い石畳みの通路を奥に入って右に曲がった突き当りにある一室で、秘密の場所のようでした」
「海の家」で食べる「たこ焼き」と「おでん」の味は最高ですね。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【夏の思い出】夏が来れば思い出す子供時代の記憶|言葉の小槌30
【夏の思い出】
小学生の頃、毎年夏休みになると淡路島にいた祖母の所で、夏休みの大半を過ごすことが出来たことは忘れられないメモリーです。
淡路島の洲本市にあった祖母の住む長屋の近くには郵便局があり、小学校の校庭があり、神社があり、三熊山があり、山頂には洲本城があり、大浜海岸海水浴場がありとノスタルジックな思いにふけるには申し分のない素朴な風景が全て揃ったような所でした。
当時は明石海峡大橋はまだなく、フェリーでのんびり船旅をしながらでしか行けなかったので、すごく遠出をしているようで嬉しかったです。
また祖母の住む長屋は相当古めかしくて、細い石畳みの通路を奥に入って右に曲がった突き当りにある一室で、秘密の場所のようでした。
隣との境には土塀があり、シダや苔などの植物が生えていましたし、なぜか沢蟹がいたり、トカゲ、ヤモリは当たり前で、小振りの朝顔が慎ましく咲いていたりと、あの当時でも古き良き時代の名残りがある、時代に取り残されたような所でした。
毎朝、玄関先で腰まで届く猫毛の長い髪をとかしていた祖母が印象的でした。
寡黙な方で多くは喋らないのですが、私らのことを呼ぶ時に「おまはん」と淡路弁で言われることが、面白かったです。
家の鍵は持ち歩かず、郵便受けの中にチョコラBBの空き容器があり、その中に家の鍵を入れていました。
大浜海水浴場には水着姿で、蝉の鳴く中を歩いて毎日通いました。
一度歩道にある排水溝の穴に足首がはまり、抜けなくなり大泣きしたこともありました。
大浜海水浴場は砂浜に立派な松の木が沢山あり、昔ながらの日本の海岸といった風で、海は遠浅になっていて、足が付かなくなってからも沖に向って泳いでいくと、再度地面に足が届く所が出てくるので楽しかったです。

「海の家」で食べる「たこ焼き」と「おでん」の味は最高ですね。
人生最後の食事の候補の一つに、「海の家」で食べる昔ながらのソースべったりの上に鰹節と青のりがかかった、「たこ焼き」はありです。
海辺の町ならでは行商のおばさんが荷車引いて新鮮な魚介類を売りに回っていたことも、町で育った私には新鮮でした。
蛸なんかは生きていたので、さばいてもらう時におばさんの手に蛸の足が巻きついていく光景は驚愕でした。
もちろんトイレは「ぽっとん便所」で、お風呂はないので、近くの銭湯に通いました。
銭湯の近くにはこじんまりしたスナック通りがあり、うらぶれた感じが昭和レトロの照明によってなおさら黄昏れた雰囲気になり、あのよどんだような感じが好きでした。
今でも何か人々の哀愁が滲みこんだような、昭和レトロな感じに惹かれます。
二十歳くらいの時に友人らとキャンプしながら淡路島を自転車で一周してみようとなり、小学生の時以来ぶりに大阪から淡路島に自転車で行った時に、あの銭湯へお風呂に入りに行ったのですが、番台に座っていたおばさんが、私のことを憶えてくれていて声を掛けてきてくれたことには大変驚きました。
十年ぶりくらいだったですし、見た目も子供から大人になっていたわけですから。
でもその見た目が祖母の息子である叔父さんと良く似ていたので分かったようで、血の繋がりですね。
今では明石海峡大橋がありますので、淡路島へは車で簡単に行けてしまいます。
便利な反面、私の思い出の地が近くになり過ぎて残念に思っています。
数年前に25年以上ぶりに洲本へぶらりと行ってみたのですが、祖母の住んでいた長屋はなくっていて、空き地になっていました。
銭湯も無くなっていました。
悲しい気持ちになりましたし、思い出は美しいものなので、美しいまま残しておけば良かったと思います。
なぜか今の洲本を見てみたいと思ったことで訪れたのですが、知らない方が幸せなこともあります。
とぼとぼと大浜海岸へ歩いて行く道すがら、小学生らしき少年が「こんにちは」と声を掛けてくれました。
「こんにちは」
小さな出来事ですがすごく印象に残っています。
大浜海岸は相変わらず大きな松の木が立派で、砂浜は環境保全も兼ねて綺麗に整備されているようでした。
ずっと残っていってもらいたい景色です。
HanaAkari