「人は覚悟を決めれば何でも出来る」という一つの極限の形のようで、人の力の底力を感じます。
「愛のある言葉には世界を変える力があることを学びましょう」
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【回天】戦争以外で愛の起死回生の使い方があります|言葉の小槌61
【回天】
「世の中の形勢を一変させる」「勢いを盛り返す」といった意味があり、響きと文字面も素敵な言葉だと思います。
ちょっと弱気になっている時などは、勇気づけられます。
「頑張ろう」って気になれます。
私がこの言葉を知るきっかけになったのは、中国の靴のブランドに「回力」という会社があり、「回力」という名前は「回天有力」=「時勢を一変させる力」を略して「回力」としたという情報を知ったことからです。
いい名前の会社だと思ったのと、ゲン担ぎとして「回力」というロゴの入った靴を一足購入したのがきっかけになり、「回天」の意味を調べてみたのです。
「世の中の形勢を一変させる」「勢いを盛り返す」以外の意味で出てきたのが、第二次世界大戦の時に日本海軍が使用した「人間魚雷」の名称でした。
確かに戦局の思わしくない日本の状況を形勢逆転させるといった意味では、適格なネーミングのように思うのですが、あまり気持ちのいい情報ではありませんでした。
「愛語よく回天の力あり」という道元禅師の名言も知りました。
人間魚雷【回天】
現代の私達からすると到底想像もできない発想の兵器で、「それはやってはいけない」と即答できますが、当時の人々は「お国」の為に死を厭わず誇りに思って自ら望んで、帰り道の無い特攻兵器「人間魚雷」に乗り込んだようです。
「人は覚悟を決めれば何でも出来る」という一つの極限の形のようで、人の力の底力を感じます。
「覚悟」の使いどころが歪んでしまったのでしょうが、戦争という常軌を逸した状況ではどうすることも出来なかったのだろうと思います。
戦争にならないように「覚悟」を使うべきなのでしょう、きっと。
敗戦の色が濃厚になってきた日本軍は病んでしまっていたのだろうと思ってしまいます。
魚雷に「回天」なんて名付けて、有人の特攻兵器にする必要が本当にあったのかと平和な時代に生きる私は思うのです。
もちろん深い事情は分かりませんが、魚雷を普通に発射するだけでは駄目だったのでしょうか?
戦争のような異常な状況になってしまわないように、普段から「覚悟」を正しい方向に使っていければ、何でも出来てしまう「覚悟」ですから戦争の起こらない方向に向かって行けないものでしょうか?
もう一つの「回天」を含んだ名言に何かヒントがあるかもしれません。
道元禅師の言葉【愛語よく回天の力あり】
道元禅師は「禅」仏教「日本の曹洞宗」の開祖ですが、「愛語よく回天の力あり」という言葉を残しています。
面(むかい)て愛語を聞くは面(おもて)を喜ばしめ、心を楽しくす。面わずして愛語を聞くは、肝に銘じ、魂に銘ず。愛語よく回天の力あることを学すべきなり。
道元禅師
表現が今と少し違いますので、少し分かりにくいですが、「愛のある言葉を掛ければ相手は喜びの顔になり心も踊ります。人づてで愛の言葉を聞くとその言葉は相手の心に刺さり、魂が震えます」
「愛のある言葉には世界を変える力があることを学びましょう」
このような意味になると思いますが、本当にそうです。
心からも優しい言葉を掛けられると嬉しいですし、気持ちは前に向きます。
愛のある言葉が心の琴線に触れたら、感動して心が震えてより良く生きようと思います。
時にはたった一言が「起死回生」の力になったりします。
私は頬を引きつらせて無理に言う必要はないように思うのですが、そのような愛の言葉を意識するようにしたいですし、逆に愛の無い言葉を不用意に使わないようにも努力したいと思います。
他愛のないたった一言が傷になって残ることがありますので。
あまり気にし過ぎると何も話すことができなくなりますし、難しいですがせめて相手のことを思う気持ちを忘れずにいたいです。
言葉はどうしても受けて側の捉え方で大きく意味合いが違ってしまうことがありますので、愛が無い言葉だと感じたら受け流すようにするのも大事だと思います。
「今日、耳、日曜~」ってやつです。
HanaAkari