「山月記」 中島敦著 を読んで

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山月記 〈日本人〉作品を読んで
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人の心と獣の心のはざまを描いているようで、懐かしさもあり楽しかったです。

私が、云十年前に中学生だった頃の国語の教科書にあった作品です。

内容は全く憶えていませんでしたが、懐かしくなり読み始めて「あっ!」と思いました。

冒頭で山月記の主人公の名が「李徴」だったことが分かり、その瞬間に私の一風変わった中学、高校時代の遊びを思い出し、その頃の怖れを知らない若々しい時代にタイムスリップしました。

私は中学、高校の時に数人の友人らと共に小説を書くサークル活動をしていた時期があり、みんなで同人誌を作成したこともありました。

その時に私は「ナチュラリー・李徴」というペンネームで小説を書いていた記憶が甦りました。

特に深い意味はなく、ただ山月記の「李徴」という名前から閃いて「N・李徴」とした、こっぱずかしい思い出です。

今回、「山月記」を再び読むまではすっかり忘れていました。

内容も全く記憶に残っていなかったので、「李徴」以外は初めて読むような印象でした。

李徴

李徴という男が後世に自分の詩歌を残す為に詩作に没頭するが、夢叶わず諦めることとなり、ある日ついに発狂して家を飛び出し、家族を残して行方知れずになるといったお話です。

そしてなぜか容姿が虎になってしまい虎として過ごしていたら、偶然親友の袁惨と再会するのですが、その時の二人の会話で虎になった李徴がこぼした嘆きが意味深く感じました。

これまではなぜ虎になってしまったのかと考えていたのが、いつしか気が付けば自分はどうして以前は人間だったのかと考えていたことが恐ろしい…

人の心を忘れ、どんどん獣になっていく有り様は、常軌を逸して人の心を失い、人外の者になっていくという、多かれ少なかれ誰しも持っているような心の危険性を表しているようでした。

虎

二人の会話は続き、虎になっても詩への未練が残る李徴は自分の詩を袁惨に託そうとします。

それから家族には虎になったことは知らせず、死んだと伝えて欲しいとお願いするのです。

そんな李徴の気持ちを汲む袁惨ですが、内心、李徴が獣になってしまったのは、残してきた家族が生活に苦しんでいるにも関わらず、自分の詩の事を優先しているようだからと思うのです。

獣に身を堕としてしまったのは他でもない、人の心を失った李徴が自ら招いた結果だという、厳しいながらも核心を突いているようでした。

読みながら私自身も、ギョッとさせられました。

気を付けたいと思います。

以前に読んだことのある作品を、改めて楽しむという遊びを見つけました。

昔に読んだことのある作品を、時間が経過して価値観や人生観にも以前とは違いがある今、再度読み直してみることが私の一つの楽しみです。

大半のものは内容は忘れてしまっていて、タイトル名と作者だけが記憶に残っている場合がほとんどですので、以前とは違う自分が新しい作品を読むような感じになることが楽しくて、私の遊び心に火を灯してくれました。

久しぶりに読み直してみると、忘れていたはずの内容が思い出されたり、その作品を読むに至った経緯なども思い出され懐かしさも堪能できます。

まさに一石二鳥のささやかな趣味を見つけた気持ちです。

また今では、著作権が消滅した作品が「青空文庫」という電子図書で無料で読むことが出来るので、大変ありがたいことです。

中島敦
中島敦

「青空文庫」とは

インターネットの電子図書館が「青空文庫」です。

「本を電子化して、誰でも読めるようにしておくと面白い」という考えから始まった取り組みで、ボランティアの方々のお陰で成り立っています。

著作権が消滅した作品が集められますので古い作品が中心になりますが、古典の名作が無料で読めることは本当にありがたいことだと思います。

日本の名立たる文豪の作品が軒並み揃っていますし、どの時代になっても色褪せない機知に富んだ作品は、後世まで残していきたいものですので、読みたい時に誰でも読めるという発想と、その取り組みは素晴らしいの一言に尽きます。

様々なテキストで読むことができるようですが、私は愛用している電子書籍〈ブックライブ〉で無料で購入できるのでそちらで読んでいます。

実を申しますと〈ブックライブ〉で0円で購入できる書籍を発見したことから、「青空文庫」の存在を知りました。

〈ブックライブ〉も有料の同じ書籍を取り扱っているにも関わらず、「青空文庫」が読めるように取り計らってくれているのにも好感が持てます。

良い発見をしました。

HanaAkari

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