「自然農法 わら一本の革命」 福岡正信著を読んで

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読書感想文〈自然農法 わら一本の命〉 〈日本人〉作品を読んで
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「そこに答えがあっても、素直になれない」自分自身を見つめさせられる、「福岡正信」氏の「自然農法」

久しぶりに読み返してみました。

かつて影響を受けたこともあり農作業に関わった時期もありましたが、今は都市での生活に翻弄される日々で、自らそれを選んでいるのにも関わらず勝手なもので、時には自然を肌や心で感じたくなったりもします。

おぼろげながらもそのような所に大切なことがあるような気がして、せめて今の自分にヒントになるようなものがないものだろうか?という思いがありました。

改めて「わら一本の革命」を読んでみると、やはり私にとって福岡正信氏は魅力的な人だということを、改めて感じることになりました。

日本の「老子」と言われた人物ですから当然かもしれません。

稲作 縄文時代

私がこの福岡正信氏のこと、自然農法のこと知ったのは、インド旅行中に知り合ったお坊さんのMさんと日本でお会いした時でした。

インドでも色々と私が知らなかったことを教えてもらいましたが、福岡正信氏のことは日本で再会した時に教えてもらいました。

書籍もさることながらビデオ映像を見せてもらったので、〈福岡正信〉という人の魅力が伝わりやすくて、日本にこのような凄い人がいることを知り、それまで日本の素晴らしいことに対して見る目が無かったことに気が付いたきっかけとなりました。

ちょうどインドの旅から帰国した時でしたので、インドの精神的指導者や文化を知り、凄い国だと感心して、日本にはない魅力に恐れ入りインド崇拝状態の時でした。

しかし、それは私が日本にある素晴らしいことを知らなかっただけで、インドに負けていないし、もしかしたらそれ以上ではないかと感じれるほど福岡正信氏は、強烈な光を放っていたように思います。

思えばインドのデリーでインテリのインド人に「フクオカを知っているか?」と話しかけられたことがあり、私はその時には「福岡県」のことだと勘違いして、話が嚙み合わなかったことがありました。

あれは福岡正信氏のことだったのだとずっと後になって分かりましたが、福岡正信氏は日本よりも海外で有名なようでした。

海外でも多くの実績を残しています。

インドでも実際に「自然農法」を証明する結果を残していたのを、インド人は知っていて私は知らなかったということです。

福岡正信氏の「わら一本の革命」やその他の著作は、農業本というよりも哲学書のようで、人生や価値観について考えさせられる本だと思います。

老子
老子

「自然農法」とは

福岡正信氏は「自然農法」で、収穫量においても化学農法を上回る結果を残しました。

本来の農業は自然の力に任せ、土も耕さず、草もとらない、肥料も必要なしといった、現代農業で人間があれこれと農作物の多収穫を目指してやっていることは、全て間違っていて本末転倒のことなんだという一貫した考え方に基づいています。

農法を通して人の価値観や、ものの見方、生き方を世に問いかけたのです。

机上の上の空論ではなく、実際に結果を残しているのが凄いところですが、本物ほどなかなか世に浸透しないのものかもしれないと思います。

結果が答えを示してくれていても、自分の価値観にメスを入れるような究極の選択を迫られるようなことには、あれこれと言い訳をして逃げ腰になってしまうものです。

また福岡正信氏は「何もしない農法」として豪快に仰っているのですが、偉人は得てして傍から見るともの凄く努力をしているもので、本人は努力だとは思わずにそれを楽しんでいるのだと思います。

私からすると福岡正信氏は自分の信じることに対して、とことん努力を惜しまなかった格好いい人です。

凡人の私は答えを見つけたと思っても、憧れはあるものの真似できずにいるものですが、せめて自分が生きていく上で意識することだけでも忘れないでおこうと思います。

福岡正信氏も仰っていました。

意識が変わることが大切だと。

何でも美味しくいただける人間を造るのが先決なのに、人間を放ったらかしにしておいて美味しい食べ物を造る努力ばかりしてきた。

そのために、美味しいものがかえってなくなったのである。

雨は下から降るものだ。

下が緑になれば、そこに水蒸気がわいて雲がわいて、雨が降るんだ。

人間は自然を分析しているだけで分かった気になっているが、本当は何も分かっていない。

コピーは出来ても、一粒の種も何もないところからは作り出すことはできない。

霧

「福岡正信」氏の哲学は、「マハトマ・ガンジー」の思想に通じるように思います。

インドの偉大な魂ガンジーは工業化を否定し、人は町ではなく村に住み生活するべきで、町の生活は暴力に頼る、嘘偽りの生活になってしまうと警鐘を鳴らしました。

ガンジー
ガンジー

真実と非暴力(アヒンサー)の前では核も何の効力も持たない。

戦わないものは負けないし、最後には勝利するという考え方は、無いのがあるということだとする福岡正信氏の考え方と同じような、私の感覚からすると逆転発想の極みのように思えます。

精神の力と物理的な力では、精神の力のほうが物理的な力よりも優れている。

この二人の発想は一つの到達地点のように思え、そっくりそのまま真似ることは出来なくても、絶対に大切にしないといけないような気がします。

偉大な先人たちが残して下さった知恵を現代科学と上手く融合させて、それが究極でなくても極端に偏ることのないように調和できれば幸いなのですが…

私は自分自身の価値観が物質面に偏っている傾向が強いように思いますし、そっちの方向には簡単に流されてしまうことにも感づいているので、せめて時には偉大な精神に触れるようにして、軌道修正するように努めていきたいと改めて思いました。

HanaAkari

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