旅の玉手箱【ホイアン】〈ベトナム編-6〉

※本サイトはアフィリエイト広告を利用しています。
旅の玉手箱〈ベトナム編〉 旅の玉手箱〈ベトナム編〉
スポンサーリンク
ベトナム国内の動き
  • ハノイ
    〈Ha Noi〉
    シンカフェ〈Sinh Cafe〉のバスでハロン湾へ
  • ハロン湾
    〈Halong Bay〉

    絶景。有名な世界自然遺産。

  • フエ
    〈Hue〉

    ベトナム中部の古都。世界遺産。

  • ホイアン
    〈Hoi An〉

    古い時代の国際貿易港。旧市街には日本橋。現在、世界遺産。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

スポンサーリンク

【ホイアン】歴史を感じる日本橋旅情|旅の玉手箱 ヴェトナム編‐6

ホイアン】

こじんまりした町で、のどかだったように思います。

「ホイアン」の町を散策していたら、カフェのテラス席から声を掛けてきた日本人がいました。

素晴らしい好天の下、一人、日中からベトナムのビール「ビア・ホイ」を飲みながら、優雅に時を過ごしていたところに私たちが通りかかったので、「御一緒にどう?」てな具合です。

小さなオープンテラスで悠々自適に昼日中から、お酒を飲んでベトナム人の店員さんと英語で会話を楽しんでいる、なんか羨ましかったです。

そういった光景は普通に行われているし、いつしか私もそのようになっていたとは思うのですが、まだ旅慣れてなかったのと、自分は英語がまだ全然だったのもあり、「いいなあぁ~」「憧れるなあぁ~」とあの時は素直に思いました。

旅先だからでしょうか?あの頃の私だったら嫉妬心が起こる可能性もあったのですが、その時は不思議となかったです。

たまたま異国の青空の下で心が洗われていたのかもしれません。

Yさんの今回の旅はこれから「ラオス」に向かい「タイ」に抜け、「タイ」を楽しんだ後、帰国という予定でした。

「ビア・ホイ」に誘ってもらったことからの御縁でした。

時にとても気が合う人がいるもので、Yさんとはそうでしたし、私が二年後くらいに帰国した際には日本でもお会いました。

「ホイアン」はとても居心地が良い所で、少しのんびりと滞在しましたが、旅行者はみんな考えることが同じようで、居心地の良い場所には自然と長居する傾向はありました。

ホイアン
街並み

ここで知り合ったNさん「ラオス」から「ベトナム」へ入ってきたパターンで、筋金入りのバックパッカーでしたので、これまでに行った様々の国の話を聞けました。

Nさんとは後に「ホーチミン」で再会するのですが、「ホーチミン」ではNさんのおかげで、普通に旅行しているだけでは、まず情報がない地元の人が行く「DISCO」に遊びに行けましたし、「カンボジア」「プノンペン」に行く際は一緒に行きました。

ホイアンには「日本橋」がありました。

私が「ホイアン」観光で記憶にあるのは「日本橋」です。

なぜ「ベトナム」「日本橋」があるのか疑問でしたが、ロマンある歴史的背景がありました。

「来遠橋(らいえんばし)」とも呼ばれるこの橋は、かつて「ホイアン」が国際貿易都市として栄えていた時代に、「日本人町」「中華街」との間に日本人の手によって架けられた橋だそうで、いつの時代も民間の国際交流は普通に行われていたと知ると、ちょっと「ほっと」します。

民間では素晴らしいものが、国単位になってくると「いがみ合う」のは何故なのでしょう?

日本橋
日本橋

戦国時代後期から江戸時代初期の頃に朱印船が、「ホイアン」までやってきて、そこに生活の場もあったのが、なんとなく教科書で知っていた知識と符合して嬉しかったです。

橋の外観は一見すると屋根があり、私は「日本風」というよりは「中華風」の建物のように見えましたが、土台の石組部分に日本の技術が使われているようです。

昔から伝わる日本の石組の技術は築城でも分かるように、凄い技術みたいですので、それが江戸の時代から日本とは遠く離れたベトナムの地にあるということを考えると、人々の交流の面白さを感じることが出来て嬉しくなります。

HanaAkari

タイトルとURLをコピーしました