旅の玉手箱【ニャチャン】〈ベトナム編-7〉

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旅の玉手箱〈ベトナム編〉 旅の玉手箱〈ベトナム編〉
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ベトナム国内の動き
  • ホイアン
    〈Hoi An〉

    居心地の良かった「ホイアン」を後にし、ビーチ「ニャチャン」に向かいました。

  • ニャチャン
    〈Nha Trang〉

    現在では、世界でも有数のビーチリゾートですが…

  • ダラット
    〈Da Lat〉

    高原の避暑地。私はここで大事件を起こしました。

  • ホーチミン
    〈Ho Chi Minh〉

    熱気と活気のベトナム最大都市。旧サイゴン〈Sai Gon〉

  • モックバイ
    〈Moc Bai〉
    ベトナムとカンボジアの国境

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【ニャチャン】魅惑のボート・トリップ|旅の玉手箱 ベトナム編-7

ニャチャン】

今では世界でも有数のビーチリゾートのようですが、私が行った時は他の町よりは垢抜けたようにも見えましたが、まだまだ発展途上だったように思います。

白い砂浜には人影はほとんどなく、白いパラソルが並んでいただけでした。

私が宿泊するのは当然安いゲストハウスですので、高級リゾートエリアとは離れていたのかもしれませんが大きなホテルのようなものが立ち並んだ景色はイメージできません。

私の中にある印象は、海辺の町ですので何処と成しか明るい感じがして、爽やかで静かな場所です。

ニャチャン

宿泊したゲストハウスでDさんMさんに知り合うのですが、この二人とはこの後「ホーチミン」で再会し二人とは「カンボジア」まで行動を共にし、「バンコク」でまた再会しました。

さらに人の縁が不思議だと思うことは、それから5、6年後に私は日本の会社でDさんと一緒に働くことになるのですが、もちろんその時はそんなことは思いも寄らないことでした。

旅行中は何のしがらみもなく、責任もなく自由気ままにできますので楽しくて当然なのですが、日本で仕事となるとそうはいかず、色々な絡みもあり今ではDさんとは疎遠になっているのも、「御縁とはいったい何ぞや」ということを考えさせられます。

「ニャチャン」での目的はただ一つ、「ママ・ハン」のボート・ツアーに参加することでした。

「ママ・ハン」ボート・ツアー/「ハン・おばさん」のボート・トリップ

ものすごく贅沢な楽しみ方、遊び、時間の過ごし方、まさにそんな「ママ・ハン」ツアーでした。

古い思い出ですので現在はどうなのかは分かりませんが、自由な旅行中にあっても、さらに非日常に酔いしれることが出来たボートツアーでしたのでとても印象に残っています。

ニャチャン

ツアーに参加したメンバーが小さな船に乗って「ニャチャン」の青い綺麗な海に出ていきました。

一艘に十人前後乗っていたでしょうか、しばらく沖合に向かって進んだ船は、周りには青い穏やかな海しか見えない場所に停泊し、ただ波に揺られている状態になって自由な時間が始まりました。

船上には山盛りになった食べきれない程の南国のフルーツの盛り合わせがあり、お酒ありと「それぞれ自由にやってちょ~だい、楽しんでちょ~だい」ということです。

燦燦と輝く太陽の下、ワイン片手にフルーツを好きなだけ頬張り、暑くなれば海に入り、浮き輪でぷかぷかと揺られながら、ワイングラスを喉に傾ける。

贅沢過ぎる至福の時間がありました。

南国で食べるフルーツはいつも以上に美味しいんです。

パイナップル、スイカ、パパイヤ、マンゴー、ライチ、ドラゴン・アイ、スターフルーツ、ジャックフルーツ等、日本では食べたことがなかった果物が、大皿に食べきれない程に並んでいるだけでも王様気分になりますし、恵みの太陽、美しい海、おいしい空気、爽やかな風、自然を独り占めしているようで、なんか「地球の王様」になったような気分でした。

ほろ酔い気分。

「ママ・ハン」ボート・ツアーか、「ママ・ハン」ボート・トリップのどちらが正式な呼び名だったのかは定かではありませんが、「ボート・トリップ」の方がしっくりきます。

あれは反則レベルでした。

HanaAkari

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