旅の玉手箱【ダラット】〈ベトナム編-9〉

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旅の玉手箱〈ベトナム編〉 旅の玉手箱〈ベトナム編〉
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ベトナム国内の動き
  • ホイアン
    〈Hoi An〉

    居心地の良かった「ホイアン」を後にし、ビーチ「ニャチャン」に向かいました。

  • ニャチャン
    〈Nha Trang〉

    現在では、世界でも有数のビーチリゾートですが…

  • ダラット
    〈Da Lat〉

    高原の避暑地。私はここで大事件を起こしました。

  • ホーチミン
    〈Ho Chi Minh〉

    熱気と活気のベトナム最大都市。旧サイゴン〈Sai Gon〉

  • モックバイ
    〈Moc Bai〉
    ベトナムとカンボジアの国境

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【ダラット】観光なしで連日警察へ行く|旅の玉手箱 ベトナム編-8

ダラット】

正直「ダラット」の町の記憶は殆どありません。

恐らく私が引き起こした事件のことで、事件のこと以外考える余裕がなかったのだと思います。

その反面、事件のことと、そのことで大変ご迷惑をお掛けした方、お世話になった方々のことは忘れられないものとなっていますので、よく覚えています。

唯一「ダラット」と町の景観で記憶に残っているのは、バス停の近くに大きな電波塔があったことと、その辺りから登坂になった道をしばらく行った先に、宿泊したゲストハウスがあったことです。

ダラット
ダラット

そしてこれは「ダラット」に限ったことではなく、当時ベトナムの町には車は多くなく、人々の生活の足はモーターバイクで、町中では道いっぱいにモーターバイクが並んで走っていました。

日本の道の光景で、車がモーターバイクに置き換わった感じです。

当時は殆どのモーターバイクが「ホンダ」「カブ」「カブ」だらけでした。

日本ではあまり見なくなりましたが、「カブ」は昭和を代表する名バイクで、技術が凄い、「ホンダ」の最高傑作の一つと言われたバイクですが、「ロータリーミッション」という「カブ」ならではのミッション機能が特徴でした。

スクータータイプと違い、少し運転に慣れる必要がありました。

私はその「カブ」で交通事故を起こしてしまいました。

少し旅に慣れてきて調子に乗ってくると、自ら災いを呼び込んでいくことが多くなりました。

この頃から風向きが変わっていったと思います。

碌なもんじゃない私の一部が独り歩きし始めた時期でした。

「ダラット」に到着した日は、もう夕方でしたのでその日はゆっくりと休んだと思います。

次の日に郊外に見どころがあったのか?レンタルバイクを借りて郊外に遊びに出たのですが、借りたモーターバイクは「カブ」でした。

私はそれまでスクーターしか運転したことが無かったので、初めは「ロータリーミッション」に戸惑いましたが、少し慣れてくるとすぐに調子に乗ってしまうんですね。

ベトナムの交通ルールでは車両は右側通行で、日本とは逆ですし、事情が分からない異国だということで慎重になるべきだったのですが、交通量が殆ど無い気持ちのいい山道を疾走していると自然とスピードが上がっていきました。

しかもヘルメットも被る必要がなかったので気持ちよく、足元はサンダル姿で日本ではすぐにパトカーのサイレンが鳴りだすような恰好での快走でしたから、気持ち良かった訳です。

カーブをオーバースピードで対向車線に膨らんだ時に、正面にバイクが見えて、慌てて躱しましたが接触してしまいました。

完全に私の落ち度が起こした事故でした。

相手は二人乗りのご夫婦で、旦那さんが運転していましたが、私も旦那さんも特に問題はなかったのですが、後ろに乗っていた奥さんの足の甲に、私が運転していたバイクのサイドバーが接触して怪我をさせてしまいました。

その方もサンダル姿ですので肌が露出していますから、傷は大きく痛々しかったですし、私は動揺していましたが、すぐに病院に同行して、その後一緒に警察署に行きました。

私にとって幸いだったのは、お相手の傷の痛みは酷くとても申し訳なかったのですが、大事になるような怪我ではなかったことでした。

私は連日「ダラット」の警察署に出頭することになりました。

言語の問題で殆ど話が通じない状況でしたが、「明日の何時」にここに来るように言われたことことは理解でき、その日はそのまま帰って良しということになりました。

警察の方は親切でしたが、もちろん私が逃亡しないように、パスポートナンバーは控えられました。

逃げることは全く考えなかったですが、「ああ、やってしまたぁ~」という後悔でその日は食べ物は喉を通りませんでした。

宿に帰って従業員の「ホアン」さんに事情を話すと、非常に心配してくれて励ましてくれたのには本当に救われました。

彼女のバイクを借りて起こした事故でしたので、バイクに傷は付いていないとはゆえ、私としては合わせる顔は無かったのです。

次の日に決められた時間に警察署に出頭すると、英語の話せる警官がいて事情聴取が行われたのですが、その頃の私の英語理解力では事情聴取にはならず、警察の方は諦めたようで「明日の何時」にまた来るように言われ、宿に戻りました。

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ホーチミンより日本人の通訳の方がやってきました。

次の日に再度警察署に出頭すると、年配の日本人の男性がいて、事故のお相手も来ていました。

日本人の男性は通訳として呼ばれ、ホーチミンからわざわざやって来たとのことで、普段はホーチミンで「ビジネス」をしていると自己紹介されました。

残念ながら名前は思い出せないのですが、とても親切で優しい方でした。

事故のお相手と「示談」の話をまとめる為に呼ばれたのです。

私の全面的な非で起こした事故でしたので、具体的にはお相手に対しての怪我の「示談金」の取り決めと支払いを行い、この件を解決させるためでした。

昨日までは言葉の問題で出来なかった、ひとしきりの事情聴取と確認が行われて「示談金」を支払ったのですが、その際に通訳の方は「この金額はベトナムの一般的な相場よりはるかに高額ですが、交渉しますか?」と教えてくれましたが、私はそのような気持ちにはなれずに交渉はしなかったです。

すんなりと終わらせたかったのもありますし、その金額がベトナムでは破格だと言われてもピンとこない程、安かったのです。

これ程までに物価や相場の違いがあるんだと、改めて自分が恵まれた状況にあることを知ることになりました。

通訳の方とは当然日本語で話しますので、周囲にベトナム人がいても日本語は理解できませんので、相手に理解されると少しマズイ、ぶっちゃけた話が出来たのです。

通訳の方から「あの方は怪我はしましたが、この「示談金」でかなり儲かることになるので「示談」が終われば、事故のことはあまり気にする必要はないと思いますよ」と言われ、にわかには信じられない事態でしたが、少し安心しました。

また日本を出発する前に取得していた国際免許証は普通自動車の免許証でしたので、50㏄までの排気量のモーターバイクは運転が可能でしたが、私が借りたバイクはそれ以上の排気量だったようで…つまり正式には無免許運転だったのですが、通訳の方はそれに気が付いて、こうアドバイスをくれました。

「正式には無免許運転になりますが、それを伝えると話がややこしくなるので伏せておきます。幸い国際免証の内容は日本語ですので、ここにいる人達には理解できないので問題はありません」以上のような内容の話を、事故の相手と警察官の前でしれっとしていました。

恥ずかしい話ですが、25年以上前の事ですので時効ということでお願いします。

ダラット
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「ダラット」で記憶にある場所は警察署と宿の近くの食堂だけです。

このような経緯で私が起こした「ダラット」での事件は周囲の方々、通訳の方のご協力と計らいで三日間で一件落着となりました。

その間友人は何処かを観光していたようですが、私は警察署に行くことで精いっぱいで余裕がなく、お腹が空いたら宿の近くのベトナム料理の食堂で何かを食べる以外は、ずっと宿に居ました。

なので私にとって「ダラット」は強烈に印象には残っていますが、町のことは殆ど記憶にない町です。

「ホーチミン」に向かう際に宿をチエックアウトした時に、大変お世話になった「ホアン」さんに何か出来ないかと急に思い、日本を出る少し前に北海道に行った時から「アイヌ村」で買った木彫りの首飾りを着けていましたので、私はおもむろにその首飾りを外し「ホアン」さんに受け取ってもらいました。

今考えると自己満足の押しつけですが、あの時は何かそれくらい何かお礼がしたかったのだと思います。

女性の顔を正面から彫ったアイヌ職人の木彫りの一点もので、確か「正面彫り」といったものだったと思うのですが、それなりにお値段のするものでした。

事故の相手に支払った「示談金」よりも高額だったと思います。

HanaAkari

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