旅の玉手箱【ソンテウ】〈乗り物編-6〉

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旅の玉手箱〈ソンテウ〉 旅の玉手箱〈乗り物編〉
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タイの乗り合いバス〈ソンテウ〉。後部の荷台に人が乗り合わせて乗り、庶民の近郊の都市への移動手段として利用されています。バスの小型版といった存在です。決められたルートを運行しているソンテウと、チャーターしてタクシーのように利用するソンテウもあるようです。〈ソンテウ〉はタイ語ですが、私はミャンマーで利用したことがあります。
ソンテウ
ソンテウ
タイではチェンマイでトレッキングに行く際に手配された〈ソンテウ〉に乗り、トレッキングのスタート地点まで、移動しました。ミャンマーでは隣の町までの移動手段で、地元の人達に混ざって乗りました。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【ソンテウ】過酷な移動もありましたが…|旅の玉手箱 乗り物編-6

ソンテウ】

タイ旅行中には、一般に走っている「ソンテウ」には乗ったことありませんが、一度だけチェンマイでトレッキングに行った時に、ゲストハウスからトレッキングのスタート地点まで移動する際に、手配されていた「ソンテウ」に乗って移動したことがありました。

その半年後くらいにミャンマーに行った際には、町から町の移動に利用したことがあります。

ソンテウ

ミャンマー第2の都市「マンダレー」から「メイミョー」までソンテウの最後部の外側に立ち乗りしました。

ミャンマー語で「ソンテウ」のことを「ラインカー」と呼ぶそうですが、ミャンマーの古都でニ番目に大きい都市、「マンダレー」から「メイミョー」という所までの移動は、「ソンテウ」に乗っての結構な冒険になりました。

地元の人が使う移動手段といえばローカルバスというイメージがあったのですが、ミャンマーでは一度だけローカルバスが走っておらず、その代わりに公共の移動手段としてあった「ソンテウ」を利用することになりました。

乗り合いの小型バスのようなものなので問題はないのですが、私が利用した時は、たまたまだったのか?日常的にそうなのか?その時は非常に混雑していて、座席に座ることができませんでした。

次の便がいつあるかなど怪しいものなので、後部座席の最後尾の外側にバックパックを担いだまま、手摺りにつかまり、立ったまま移動することにしました。

そのような状態で人々が移動しているのは、何度も見かけていましたので、日本のようにシートベルトを着用しなさいとか、ヘルメットを被りなさいといった交通ルールが確立していなかったんだろうと思います。

そういった光景が地元の人々には、当たり前のことだったのだと思います。

ラインカー

軽く考えていましたが、結構ハードでした。

バスでない交通手段で行くような距離なので、大したことはないだろうと思っていましたが、ゆうに2時間以上もバックパックを背負った状態で、激しく揺れる「ソンテウ」に立ったまま、しがみ付いて移動するのは、なかなかしんどかったのは憶えています。

あの頃はまだ若かったからできた芸当でした。

今だと途中でギブアップするでしょうし、別の交通手段があるでしょう。

最後の方には景色を見ている余裕も無くなっていましたが、時期もあったかもしれませんが、私が行ったミャンマーの場所の景色の印象は、全体的に乾燥地帯といった感じでした。

乾いた大地がずっと広がっていました。

「メイミョー」は高原地帯でしたので、緑が多かったと思います。

譲り合いの精神が根付いているようで、ミャンマーの人々に感動しました。

「ソンテウ」は乗り合いのバスですので、途中で人は乗ったり降りたりして入れ替わっていきます。

乗っている人の中には、手荷物が「鶏が入った竹製の鳥かご」だったりして、生活感を垣間見ることができましたし、そのように荷物の多い人や、お年寄りは優先的に座席に座らせてもらえるようで、譲り合いの精神が微笑ましかったです。

流石、仏教国といった感じもありましたが、そんなことよりもただ、人々が素朴に人として当たり前のことを日常生活で行っていて、協力し合って生活しているんだなと思いました。

以前、日本にいた「オバタリアン」とは正反対でした(笑)

祈り ミャンマー

大阪でも絶滅危惧種の「オバタリアン」

電車にて自分の座席を確保するために、僅かな隙間にお尻をねじ込んでいって、他の人が諦めて席を立つことで、座席を獲得する技を得意としていた「オバタリアン」は最近見かけなくなりました。

「オバタリアン」は、まるでエイリアンみたいだという意味合いと、オバサンを掛け合わせた造語のようですが、実は「バタリアン」というコメディー系のゾンビホラー映画をもじって作られた造語です。

死語のようになりつつありますが、絶滅しかかっているのは言葉だけではなかく、目立った「オバタリアン」自体もいなくなっているように思います。

大阪の「オバタリアン」はとてもアジアンチックだったので、いなくなればそれはそれで、淋しいものです。

今では絶悦危惧種の「大阪のオバタリアン」は、実はとても人情に篤い人だったりもしましたし、面白かったので残念です。

今では吉本新喜劇でしか見かけなくなった感じがします。

以前は大阪には吉本新喜劇の「すち子」みたいな人が、結構いたんですが…

HanaAkari

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