旅の玉手箱【バガン】〈ミャンマー編-5〉

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旅の玉手箱 〈ミャンマー編〉 旅の玉手箱〈ミャンマー編〉
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ミャンマー国内での動き
  • マンダレー
    Mandalay
    〈ヤンゴン〉に次ぐ大きな町であり、古都としての面影もありました。〈メイミョー〉にはここから行きました。
  • メイミョー
    Maymyo

    標高が高い場所にあり、イギリス植民地時代に避暑地として開発された町です。確かに西洋風の雰囲気がありました。小奇麗な所でした。

  • マンダレー
    〈Mandalay〉

    〈メイミョー〉から戻り、次に〈バガン〉に行く前の拠点でした。

  • バガン
    〈Bagan〉
    バガンの仏教遺跡群は〈世界三大仏教遺跡〉の内の一つとされています。ここで〈世界三大仏教遺跡〉訪問をコンプリートしました。
  • ヤンゴン
    〈Yangon〉
    次はバングラデシュの〈ダッカ〉に飛びました。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【バガン】貧相な私の心を顧みる世界三大仏教遺跡群です。|旅の玉手箱 ミャンマー編-5

【バガン

世界三大仏教遺跡の一つといわれ、カンボジアのアンコールワット遺跡、インドネシアのボロブドゥール遺跡に続き、最後の一つの場所に行けたことは本当に恵まれていたなぁと、今だから思います。

当時は正直言ってさほど関心も無かったのを思い返すと、自分の心の貧しさが浮き彫りになって、恥ずかしい気持ちになります。

あの時の遺跡に対する感想は、パゴダ(仏塔)や寺院がたくさんあるなぁ、凄いなぁ、でも、アンコールワットには敵わないなぁ、といった貧相なものでした。

実際に凄いものなのですが、寺院や遺跡を多く見過ぎたことで慢心して、逆に心が貧しくなっていたのでしょう。

また比較したがる癖もあったので、アンコールワットより落ちるといった貧相な発想になったのだと思います。

豚に真珠ということです。

バガン

ただスケールの大きなものには迫力があるのは確かでした。

無数の遺跡が点在しているので、自転車を借りて著名なところは巡ったのですが、一番大きなパゴダに上ってその上から眺めた夕陽は目に焼き付いていますし、赤茶けた大地が広がっていた荒野のような風景も残っています。

行った時期が乾季だったかもしれないですが、私の見たミャンマーの大地は乾燥した景色が広がったものだった印象です。

あと、バガンでは残念に思ったことが一つありました。

バガン

ギブミーチョコレートを連想しました。

ミャンマーの心地よかったところは、人が擦れておらず、おおらかに生活されているところでしたが、唯一バガンでは、外国人観光客が多くやってきてお金を落としてゆくものですから、お土産や観光客相手に商売されている人々からは、お金に対してがめつい、ガツガツしたものを感じて残念に思いました。

しかしそれはこちらの勝手な幻想だということも分かっています。

外国人観光客が現地の物価とはかけ離れたお金を、安易に落としていくので、味を占める人も出てくるのも当然ですし、生活のために一生懸命商売をされているのに、お金にがめつい光景だと毛嫌いするのはおかしなことです。

きっとあの頃は、私がとっくに無くしてしまった心がミャンマーの人々にはまだ残っていて、素朴ながら素敵に生きているミャンマーの人々に、勝手な理想や幻想を抱いていたのだと思います。

おおらかに生きているミャンマーの人々と多く接したことで、勝手にこちらの理想を押し付けて、勝手に期待して、勝手に幻滅していたのです。

バガン

戦後の日本で進駐軍に群がって「ギブミーチョコレート」とチョコレートをせびる、日本の子供たちがいたということを思い出しました。

物資の乏しい戦後のことですし、甘い物も多くなかった頃のことなので、原理はバガンで私が残念に思ったことと同じだと思うのです。

でもそんな経験をしながら日本を復興させてくださったのは、その方々のおかげなのは間違いありません。

ただ、物質主義も頭打ちになった今、その先に進まなくてはいけないような気はします。

物質と精神性のハイブリット形態が板についた世界を、私は見てみたいものです。

HanaAkari

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