旅の玉手箱【バラナシ①】〈インド編-9〉

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旅の玉手箱 〈インド〉 旅の玉手箱〈インド編〉
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インド国内での動き
  • カジュラホー
    Khajuraho
    当初の予定ではアーグラ〉から〈バラナシ〉に向かう予定が間違った汽車に乗ったことで、イレギュラーで行くことになりました。その後〈サトナー〉という場所まで移動して〈バラナシ〉近くまで列車で移動しました。
  • バラナシ
    〈Varanasi〉
    〈サトナー〉から〈ムガール・サライ駅〉まで列車に乗り、ついにやってきました。〈ムガール・サライ駅〉は〈バラナシ〉からガンジス河を挟んだ対岸にある駅でした。この時〈バラナシ〉には一カ月程滞在しました。
  • ゴーラクプル
    〈Gorakhpur〉

    ネパールへ行くためにの中継地として、一泊しました。次の日にはネパールとの国境の町〈スノウリ〉まで移動し越境、そのままネパールの〈ポカラ〉まで行きました。

  • ポカラ
    〈Pokhara〉

    ネパールで初めて滞在した場所です。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【バラナシ①】女神ガンガーの胸元に沈没|旅の玉手箱 インド編-9

【バラナシ①

個人的にバラナシは〈King of India〉、これこそ〈ザ・インド〉と言っても過言ではない場所だと思います。

ガンジス河の沐浴風景が有名な、女神ガンガー(ガンジス河)に祈りを捧げる人々の姿が後を絶たない、ヒンドゥー教の大聖地です。

混沌が秩序となっているような、独特な空気が流れる魅力的な場所でした。

予定ではタージ・マハルの町〈アーグラ〉から行く予定でしたが、乗る汽車を間違えてしまい南インド方面に向かってしまったことから、急遽エロチック遺跡のある〈カジュラホー〉を経由して、待ちに待っていた〈バラナシ〉に着いた時は、なぜかとても嬉しかったです。

路線の繋がり方で、〈カジュラホー〉から中継した〈サトナー駅〉から〈バラナシ駅〉には直接行けず、〈バラナシ〉からガンジス河を挟んだ対岸にある町の〈ムガール・サライ駅〉まで行き、そこからオートリキシャを利用して、バックパッカーの集まる安宿街がある〈ダシャシュワメード・ガート〉に向かいました。

その時にガンジス河に掛けられた鉄橋を渡っていったのですが、茶色い何の変哲もない泥色のガンジス河なのに、イメージだけが先行していたものだから変に感慨深くなったのが懐かしいです。

ガンガー

人、サドゥー、リキシャ、オートリキシャ、車、バイク、牛車、野良牛などが入り乱れた、とにかく騒々しくてごちゃごちゃした町でした。

雑踏がガンジス河によって行き止まり、そこが目的地の〈ダシャシュワメード・ガート〉でした。

〈ダシャシュワメード・ガート〉周辺はバックパッカーにとっては安宿街ではありますが、こここそがまさに〈バラナシ〉の中心地であり、ガンジス河で沐浴をし、祈りを捧げるヒンドゥー教徒の心臓部に当たるような場所でした。

石畳の狭い通りを進み安宿を目指しましたが、あのインドらしい独特の光景はとてもインパクトが強いものでした。

ダシャシュワメード

ヒンドゥー教徒にとっての聖地の中の聖地〈バラナシ〉は期待通りの魅力と魔力に満ち、鬱陶しいインド人も多かったですが、その反面楽しいインド人も多く、まさに噂通りの混沌としたインドの様相にどっぷりと浸かり、それまでの人生では考えることの無かったようなことも頭によぎり、私の人生観に大きな変化をもたらすこととなる場所となりました。

よくインドに行くと人生観が変わると聞いたりはしていましたが、それが私自身にも起こるとは思いも寄らないことでしたし、それが〈バラナシ〉というお手本のような場所で起こったのも不思議な感覚でした。

いつしかインドに大きな影響を受けていたということなのですが、素直でない私がそうなったのですから、余程のことではないでしょうか。

ある意味恐ろしい場所でしたし、あの場所で出会った人の影響も多大にあったと思います。

ここで〈アーグラ〉で知り合ったIさんと再会し、Iさんがデリーで知り合った旅行者も合流したり、ちょうど夏休みを利用してインド旅行に来ていた多くの日本人、お坊さんのMさん、バックパッカー用語で「沈没」「スタック」などと言われて、一か所にずっと長期滞在する癖の強い旅行者など、多くの日本人旅行者との交流も盛り上がったのは、〈バラナシ〉という場所の魔術だったのかもしれません。

この時は一カ月ほど滞在しましたが、初めて一か所に長期間留まる経験をしましたが、〈バラナシ〉での一カ月はちっとも長くはなく、これから以降の私の旅は、気に入った場所には長期滞在するスタイルに変わっていきました。

〈バラナシ〉では音楽のセンスなど全くないくせに、インド風に乗せられてインドの太鼓〈タブラー〉を習ったりしました。

もともと真剣に〈タブラー〉を習うつもりではなくほんの遊び心でしたので、毎日先生のところに通っては、どちらかというと〈タブラー〉のレッスンよりは、雑談の方に熱心に取り組んでいました。

タブラー

思えばお坊さんバックパッカーMさんとの出会いが、精神的なことに興味を持ち始めたきっかけになったかもしれません。

インドに旅行に行く人には初めから精神世界を求めて行く人もいたようですが、私はお釈迦様がインドで生まれということも知らなかった、ただ逃避の旅をしている、なんちゃってバックパッカーでしたので、インドが精神性の宝庫だということは、行ってから知っていくことになりました。

そういった方向には全く興味がなく、どちらというと毛嫌いしていたのですが、今思うとこの〈バラナシ〉辺りから風向きが変わってきたようです。

ヒンドゥー教の聖地〈バラナシ〉は、私が精神的なことに興味を持ち出すきっかけになったようでした。

その時はまどほんの小さな炎が灯されただけで自覚は無かったのですが、心の奥の方に何かしらの変化が起こり始めていたようです。

今から思うとお坊さんバックパッカーのMさんとの出会いが大きかったのだと思います。

時間がゆっくりと流れている〈バラナシ〉では、知り合った人々が輪になって談笑するのには最適で、それまで知らなかったことを教えてもらったことが、後々の価値観の変化に繋がっていったようです。

それはその時は、ただの新しい情報としか感じていなかったものなのに、水面下ではじわじわと波紋を広げていたのだと思います。

私がいつも不思議に思うことの一つに、人との「縁」のことがあります。

あの時にたまたま知り合って聞いた話が、数年後の自分に影響していたり、何でもないようなことが大きく化けたり、嫌だったこと楽しかったことすべてひっくるめて、時間が経過した後には何かしらの意味があったように感じられるのは、天の采配なのでしょうか?本当に不思議です。

バラナシ

この時にMさんから教えてもらったことは、インドの伝統音楽(タブラー、シタール、バンスリー)のこと、インドの精神哲学者〈クリシュナムルティ〉氏のこと、仏教がインド発祥だということなどですが、日本に帰った後に一度お会いした時には、自然農法〈福岡正信〉氏のことなど、今の自分に強く影響していることが多くあります。

もちろんそのようなことだけでなく、手漕きボートで「死者の場所」と呼ばれるガンジス河の対岸に渡ったりと観光も一緒にしました。

不遜にも「死者の場所」などというヒンドゥー教徒の考え方などには一切敬意を払わずにいた私でしたから、お坊さんと一緒だったのは良かったのかもしれません(笑)

HanaAkari

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