旅の玉手箱【バラナシ②】〈インド編-11〉

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旅の玉手箱 〈インド〉 旅の玉手箱〈インド編〉
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インド国内での動き
  • カトマンドゥ
    Kathmandu
    ネパールの〈カトマンドゥ〉からインドの〈バラナシ〉に向けてリターンしました。
  • ゴーラクプル
    Gorakhpur
    〈カトマンドゥ〉から陸路でインドへ入り〈ゴーラクプル〉まで行き、行きの時と同様に中継に一泊しました
  • バラナシ
    〈Varanasi〉

    〈ネパール〉まで一緒に旅をしてきた友人とここで、完全に別行動になりました。それぞれ〈バラナシ〉には長居していましたので、時々顔を合わせることはありましたが、だらだらスタイルになっていた私より向こうは先に、次の目的地に向けて〈バラナシ〉を立ちました。淋しい思いもありましたが、新たに出会った旅人らと毎日楽しく過ごしていたので、ここで完全に自分の旅へとギアが切り替わった時でした。

  • サールナート
    〈Sarnath〉

    〈サールナート〉に「ダライ・ラマ14世」が来るとのことで、会いに行ったのが初めて〈サールナート〉に行った時です。数人の旅行者と一緒に一日観光も兼ねて、〈バラナシ〉から日帰りで行きました。その時に立ち寄った〈日本寺〉で縁があり、そこに宿泊することになり、気が付けば一ヶ月程滞在していました。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【バラナシ②】特別な思い入れがある場所|旅の玉手箱 インド編-11

【バラナシ②

ネパールからインドのゴーラクプル経由で、バラナシに戻ってきました。

バラナシは不思議なところで、縁もゆかりもないのに故郷のように感じてしまうような場所でした。

鬱陶しいことだらけなのに、愛さずにはいられない、人間の業を凝縮したようなカオスが魅力なのだと思います。

ここバラナシは狭い路地に安宿と外国人バックパッカー向けのレストランが、地元の人々の生活の場に混在しながら集中してあったので、旅行者が知り合うのにはうってつけの場所でした。

気の合う者と出会えば、というよりも旅では気の合わない人と無理やり社交する必要がなかったので、急激に親密になることが多かったです。

バックパッカーのような人たちは、変わり者と呼ばれる人が多いようでしたし、強烈な個性の人にも多く出会いました。

嫌な事を我慢することを強要されたりすることはなく、何の制約もないので楽しくて当然な状態の人同士が接するのですから、当然といえば当然なのかもしれません。

好きなものは好き、嫌なものは嫌、気が向けばやるし、気が向かなければやらない、「明日の風は明日吹く」ような感覚は無責任なようですが、日本で生活していると忘れてしまっていた感覚です。

日本の生活でもうまく取り入れることができれば、平和に穏やかな心で生きることができそうなのですが…

バラナシ
バラナシ

滞在中、知り合った旅行者から「ダライ・ラマ14世」が、〈バラナシ〉から10キロ程離れた場所にある仏教聖地〈サールナート〉に来ると聞き、ミーハー心に火が着いた私は、会いに行ってみようと思ったのでした。

〈カトマンドゥ〉に居る時に、これからの旅に必要だと思われる物資を日本から送ってもらった中に折り紙があったので、〈バラナシ〉で出会った旅行者やレストランでたまたま居合わせた日本人の旅行者にお願いして、折り鶴を折ってもらいました。

「ダライ・ラマ14世」が来るまでに千羽鶴を完成させて、プレゼントしようと思い立ったのです。

千羽鶴は完成し、そしてあの日、私を含め4人の日本人旅行者で〈サールナート〉へ向かいました。

「ダライ・ラマ14世」に会いに、仏教聖地〈サールナート〉に〈バラナシ〉から日帰りで行きました。

あの時によく一緒に行動していた旅行者に、新婚旅行で世界一周の途中のKさんご夫婦と、中国で医者をしていたというFさんがいました。

〈サールナート〉に「ダライ・ラマ14世」が来るという日は、私を入れてこの4人で、〈バラナシ〉から日帰りで観光も兼ねて行きました。

いつ来るのか分からなかったので、なるべく早い午前中に向かいました。

〈バラナシ〉から〈サールナート〉まではオートリキシャで簡単に行けますし、人力のリキシャでも行ってもらえました。

途中はごちゃごちゃとした町の人々の喧騒と、無差別の交通状態がいかにもインドらしい光景でしたが、〈サールナート〉近くになると、にわかに情景が変わってきました。

喧騒はなくなり、のどかでのんびりとした静かな場所になり、村が現れました。

観光地として整備されている公園のような場所に、大きな仏塔(ストゥーパ)があり、その周辺は若干ですが観光地のようになろうとしているのか?どうなのか?といった具合でした。

仏塔近くに数十人のチベタン(チベット人)が、ちょうど出待ちのように集まっていたので、「ダライ・ラマ14世」の居所はすぐに分かりました。

サールナート
サールナート|ダーメーク・ストゥーパ

多くのチベタンに混じって待っていると、ストゥーパの方から二人のボディーガードに警護されながら「ダライ・ラマ14世」がこちらに向かって歩いてきました。

チベタンが一斉にプレゼントを手渡そうと駆け寄りましたが、私は身動きできませんでした。

すぐ目の前にいる「ダライ・ラマ14世」の体躯が想像していたのと違い、大きくてがっちりしているのに驚いたのと、本当はどうだか分からないけれども、「ダライ・ラマ14世」の全身から強いオーラのようなものを感じて、私は完全に硬直してしまったのです。

手に持った千羽鶴を手渡したいのに、緊張して棒立ちになっていた私の背中をFさんが、ポンっと押してくれたので、硬直は解けました。

勇気を出して千羽鶴を受け取ってもらおうと、「ダライ・ラマ14世」の前まで進むと、いかついボディーガードが私と「ダライ・ラマ14世」の間に立ち塞がり、「NO」が出ました。

あの時、「ダライ・ラマ14世」は千羽鶴だけでなく、誰からもプレゼントを受け取らなかったのですが、敢えてそうしているのでしょう。

一つ受け取るとキリがなくなり、受け取って貰えた、貰えなかったとあれこれ起こるでしょうから。

ダライ・ラマ14世
ダライ・ラマ14世

その後、博物館を見て回り、休憩も交えてから、世界各地の仏教寺を見学して回りました。

〈サールナート〉には世界の仏教国が、それぞれの国の様式のお寺を建立していたので、仏教聖地ならではのお寺の万博になっていたのです。

〈中国寺〉に立ち寄った時に、Fさんが中国語を話せたので、中国人の老僧侶に千羽鶴を受け取ってもらうことにしました。

「ダライ・ラマ14世」にと折った千羽鶴でしたが、無駄にしたくはなかったので、喜んでもらえて何よりでした。

ガンジス川に流すことにならなくて良かったです。

その後に日本寺に寄ったのですが、ちょうど屋上で洗濯物を干している坊主頭の青年がいたので、お話することになったのですが、てっきりここのお坊さんかと思っていたらただの旅行者だと言うのです。

「ここ居心地がいいからしばらく滞在させてもらっているんだ」とのこと。

そしてそこに宿泊できるということを知りました。

後日、Fさんを誘い、この日本寺に宿泊させてもらうためにバックパック共々、再度〈サールナート〉にやってきました。

「日月山法輪寺」という日蓮宗のお寺です。

ここでの様々なことがそれからの私の人生観に大きな変化をもたらすことになるのですが、滞在するきっかけになったのは、一人のお坊さんもどきの旅行者でした。

HanaAkari

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