旅の玉手箱【ポカラ】〈ネパール編-1〉

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旅の玉手箱 〈ネパール編〉 旅の玉手箱〈ネパール編〉
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ネパール国内での動き
  • ゴーラクプル
    Gorakhpur
    ネパールとの国境近くにあるインドの町。ネパールへ行くための中継地として、一泊しました。次の日にはネパールとの国境の町〈スノウリ〉まで移動し陸路で越境、そのままネパールの〈ポカラ〉まで行きました。
  • ポカラ
    Pokhara
    ネパールで初めて宿泊した長閑な山間の町です。空気がよく心地の良さは最高でした。ヒマラヤ山脈のアンナプルナ岳を眺めながら、ネパール音楽を聴き、お茶をのんびりと飲んで、贅沢に時間を使いました。日本からの友人が二人ここで合流して、旅が新たな局面に入ったのもここからでした
  • アンナプルナB.C
    〈Annapurna Base Camp〉

    アンナプルナ岳のベースキャンプまで、往復の登山トレッキングに出ました。ポカラから4泊5日の行程で行ったと思います。行きに途中の村で2泊し、アンナプルナB.Cで1泊、下山時は1泊で下りてきたはずです。結構な体験でした。

  • カトマンドゥ
    〈Kathmandu〉

    ここ好きです。素敵で魅力あるネパールの首都ですが、観光客にとっても居心地の良い所だと思います。〈ポカラ〉から〈カトマンドゥ〉間の移動途中にリバーラフティングを半日くらいやって、〈カトマンドゥ〉に行くというアクティビティプランがあったので、リバーラフティング後、日暮れ近くに〈カトマンドゥ〉に到着しました。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【ポカラ】ヒマラヤの膝元の機縁の不思議|旅の玉手箱 ネパール編-1

【ポカラ

当時〈ポカラ〉は外国人の旅行者向けのゲストハウスやレストランが多く、賑わっている〈レイクサイド〉と、そこから少し離れた場所の静かな〈ダムサイド〉のどちからに大半のバックパッカーは宿泊していました。

〈レイクサイド〉には西洋人が多く、〈ダムサイド〉には日本人が多く滞在している傾向があったと思います。

私たちは〈ダムサイド〉にあった日本人がよく利用していたゲストハウスに宿泊しました。

ここのオーナーだった「ゴータマ」さんはとても親切な方で、色々とお世話になりましたし、この時以外にも不思議な巡り合わせで再会することにもなりました。

滞在中に宿の関係者の祝い事があり、縁起物の特別な食べ物としてヤギ料理をご馳走になりました。

ゲストハウスの前で宿のスタッフが生きたヤギを潰して、皮を剥いだり、解体していたのがこの時に御馳走になったヤギ料理です。

もうあの頃はそういった光景を見るのも慣れてしまっていたので鈍感になっていましたが、今改めて思い出すとなかなか日本では見ることのない部分だといえます。

ヤギ以外でも動物の肉を頂くことはありますが、どんな生き物も食材になる前には生前の姿があることを普段は意識すらしないものです。

どれだけ便利な世の中になっても、「いただきます」という言葉の重みと大切さは忘れてはならないと再認識しました。

ポカラ

毎日近くのカフェに通ってはお茶やハーブティーなんかを飲みながら、遠くに見えるヒマラヤ山脈のアンナプルナ岳を見ながら、贅沢に時間を過ごせたのは幸せなことです。

カフェではインドの音楽と似たネパールの民俗音楽が流れていて、とても心地よくインドと同じシタール、タブラー、バンスリーを使っての音楽なのですが、ネパール音楽の方が音が高く表現されていて、軽快な印象がありました。

このネパール音楽でも後々不思議な体験をするのです。

日本から友人二人が、このポカラにやってきて旅に合流したのですが、このことも私にとっては大きな分岐点になったのだと思います。

居心地が良く楽しいポカラ滞在の日々でしたが、後から考えるとあの場所での出来事は不思議なことが山盛りだったようです。

後から分かった〈ポカラ〉での不思議なこと

人生には不思議なことはあるものです。

その時は特別意識はしていないくても、後になってから驚かされたり、じわじわと繋がってきたり、決断するに至るきっかけになったりと、本当に不思議でちょっと怖い感じもあったりします。

〈ポカラ〉ではそのような事が多くあったので、何かしらの機縁があったのかと思うのですが、私はそれが何だったのかと深く詮索はしないようにしています。

どうせ考えても自分の都合の良いようにしか考えないものなので、碌なもんじゃなくなるものですから。

ただ不思議な御縁は御縁として大事にしたいとは思います。

ポカラ

【不思議その1】 日本からの友人が旅に合流したことで、私の中で抑えていたものが沸々と増大して、一人で旅することを決断することになった。

長い間、友人のTに頼りっきりのバックパック旅行でしたが、実は旅の途中から行きたい場所に食い違いが多くなってきていて、だいたい折れるのは私でしたからフラストレーションが溜まってきているのは薄々自覚していました。

特に広いインドに来てからは行き先の選択肢が多くなり、その傾向は強くなっていました。

〈ポカラ〉から日本からの共通の友人が二人合流したことが引き金となり、私は私の行きたい場所に一人で行こうと決断することになりました。

一人はネパールを共に過ごして日本に帰りましたが、もう一人はネパールからインドに一緒に戻るということで、丁度いいやと思えたことが一つにあります。

また初めは全然出来なかった英語も、下手ですが旅行する程度なら大丈夫と思えるくらいにまでになっていたので、不安はありましたが大きな足かせにはなりませんでした。

決定的だったのは夏に行ったインド、ラダックのことが頭から離れず、どうしてももう一度冬に行ってみたいという思いがどんどん強くなっていたのです。

ポカラからヒマラヤの山々を眺めてると、その奥にあるチベット仏教の地ラダックに思いが馳せるのでした。

ただ〈ポカラ〉でそう決意したものの、実は言い出すのには少し時間が掛かり、友人に切り出したのは〈カトマンドゥ〉でだったはずです。

なぜそんなにも悩んだかというと、友人のTが旅に出る前に、Tから車を貰ったのですが(車検が切れる寸前の古い車でしたが)、私は一カ月もしない間にその車で大きな事故を起こしてしまい、廃車にしてしまったことに、とても負い目を感じていたのです。

なぜそこまで後ろめたい気持ちに苛まれるのかは分からないながら、その私の性質と癖が強烈に私の足を引っ張っていて、「こんな我が儘を通していいものだろうか?」と苦悩の日々が長くありました。

今ならさらりと決断することなのですが(笑)、当時は苦渋の選択だったのです。

その結果、旅を心から楽しむこととなり、喧嘩別れのようになり険悪だったTとの関係ですが、旅の中で溢れ出る幸福感から「あの時は旅に誘ってくれてありがとう」と感謝の思いを伝えるにまで至りました。

私の中に何かが起こったようでした。

【不思議その2】 ポカラで宿泊したゲストハウスのオーナー「ゴータマ」さんとインドで、ばったり再会することになりました。

友人Tとの旅に終止符を打ち一人で旅を始めた私は、インドの〈バラナシ〉近くにある仏教聖地〈サールナート〉にある日本寺に、ひょんなことから滞在することになったのですが、そこでの出会いと経験が私には大きかったようです。

それからの旅の途中に度々立ち寄らせてもらい、さらには一年後に再訪するにまでなりました。

その日本寺でお祭りを催す時に、ギリギリ間に合うように再訪した私は、その時にそこで「ゴータマ」さん家族とも再会するのです。

それには訳があって、あの時日本寺で勤めていた私と世代の近いお坊さんがバックパッカー時代にネパールのポカラで宿泊したのが「ゴータマ」さんのゲストハウスだったようで、その後にサールナートの日本寺で出会ったお上人を師と仰ぎ出家して、インドで修行の日々を送っていたのでした。

「ゴータマ」さんとは親交が厚くあり、祭りに招待したら一家総出で〈ポカラ〉から〈サールナート〉にやってきたということでした。

そのような事情を知って私は驚きと衝撃を受けたのでした。

今は日本に住んでいるそのお坊さんから、ヒンドゥー教徒である「ゴータマ」さんが出家して「サドゥー(ヒンドゥー教の出家、修行者)になったことを知り、写真も見せてもらいました。

なんとも色んなことを考えさせられる面白い出来事です。

アンナプルナ

【不思議その3】 ポカラで毎日通っていたカフェで、流れていたネパール音楽から実際にその音楽家と日本で出会うことになりました。

〈ポカラ〉のカフェで心地よく聞こえるヒーリング音楽のような、バンスリー(竹の横笛)の音色が素晴らしかったので、そのミュージシャンを教えてもらい、カトマンドゥでCDを購入したのですが、そのミュージシャンのコンサートに日本で行く機会が起こりました。

「インドラ・グルン」というバンスリー奏者ですが、日本で生活、活動をしていたところから、私が母の病気がきっかけであるスピリチュアルヒーリングの会に携わっていた時に、その会とインドラさんとの接点があり、インドラさんと直接お会いする機会が起こったのでした。

不思議としかいえませんが、このような事をスピリチュアル的なことに傾倒した視点から見ると、ちょっとした奇跡とか、凄いことのように思ったり、言われたりするのですが、そういう見方は好きではありません。

不思議は不思議としておきたいですし、スピリチュアルの怖い所に「それはきっとこうだ」「このような意味があるに違いない」と決めつけてしまうところがあると思います。

私も実際にそのような感覚で浮かれていた時期もありましたし、後悔はないものの考えさせられることも多々ありました。

意味はあるかもしれませんが、何なのかは分からないので、それはただそれはそれとしておく方が、身に相応のようです。

ただその時のインドラさんのアルバムのタイトルが「AAMA(アマ)」=「母」だったことと、もしインド、ネパールに行っていなければスピリチュアルヒーリングに出会ったとしても、微塵も心が動くことは無かったのは間違いないのですが…

【不思議その4 おまけ】 ポカラで知り合った日本人の女性が、ちょうどネパール人と結婚式を挙げるということでお祝いの場に招待されました。

たまたま〈ポカラ〉で知り合った日本人の女性が近々ネパール人と結婚をするということで、良かったら結婚式に来てくださいと招待されました。

ネパールではお祝い事はみんなで楽しむような風潮があるのかもしれません、素敵なことです。

私は深く考えもせずに誘われたのだから行ってみることにしました。

ネパール式の結婚式を生で見ることができましたし、ガーデンパーティーみたいに庭にあるテーブルには美味しい食事が並んでいたので、遠慮なく頂いたものです。

面白い出来事は、その後日本でたまたま見たテレビにその夫婦が出演していたことです。

桂三枝さんが進行役をしていた時の「新婚さんいらっしゃい」でした。

おぼろげに見覚えがあったのと、話している内容からきっとあの時の夫婦だと確信しました(笑)

HanaAkari

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