旅の玉手箱【下痢で激痩せ】〈アクシデント編-8〉

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このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【下痢で激痩せ】人生で一番の軽量になった時|旅の玉手箱 アクシデント編-8

【下痢で激痩せ

私は旅行中にどんどん痩せて行き、人生でもっとも痩せた時期がありました。

痩せたという表現よりも、ガリガリになったというのが適切です。

旅に出た時は中肉中背で、身長170cm、体重62kg程でした。

それが東南アジアの年中、暑い国々を巡るうちに自然と痩せて行きました。

慣れない食の違いに戸惑い、初めのうちはあまり食事を楽しめなかったのもあると思います。

そして極めつけが半年ほど旅行した頃にタイでデング熱に罹り、一週間入院生活を送ってから以降、体力低下が著しくなったのは否めませんでした。

退院後すぐにミャンマーへ行ったのですが、その頃からずっと下痢が続くようになりました。

食当たりになることも込みとして、安いローカル食を食べることが多かったので、下痢は慣れっこになってしまっていて、鈍感になっていました。

「また下痢か」ぐらいにしか考えていませんでした。

スケルトン

ミャンマーでは酷い「食当たり」になりましたが、それ以外は普通の下痢が続きました。

その後に行ったバングラデシュでは「アメーバ赤痢」になり、治療のために断食をしていると立ち眩みで昏倒しましたし、その時にバングラデシュ人から「私たちと同じくらいガリガリだな」と言われた時には、本当に骨と皮に近い状態にまで激痩せしていることを自覚しました。

ミャンマーでの「食当たり」の事と、バングラデシュでの「アメーバ赤痢」のことは、旅の玉手箱〈アクシデント編-2洗剤の味、3アメーバ赤痢〉に書きましたので、よければそちらも読んでみて下さい。

それはその後、インドに入ってからネパールへと旅する間も下痢が続いたので、ずっと激痩せ状態を保っていたのでした。

ネパールで一年ぶりに会った友人は私を見て「もしかして、死ぬんじゃない」とまで言ったものです。

半年ほど下痢の日々が続いた結果、私の体重は過去最軽量の50kgまでになっていました。

横向きで寝転ぶと、肉のクッションがないので、重なった膝の内側の骨同士が当たって痛かったです。

多分、あそこまで痩せるのは意識してもなかなかできないと思います。

下痢が続いたせいで、自然となった結果でした。

普段は下痢ぎみ、時に酷い下痢、腐った卵のような匂いを発している時もあり、食中毒を起こしている時もあったかもしれません。

いずれにせよ、慢性的にそのような下痢状態でしたので、いつものこととして病院に行く気にもならなかったです。

もしかしたら下痢の原因は、もう一点あるかもしれません。

精神的ストレスです。

「病は気から」、「下痢はストレスから?」

思えばこの下痢状態はそれまで一緒に旅をしていた友人と分かれて、一人で旅するようになった頃から知らない間に収まっていました。

もしかしたら、人間関係のストレスが原因にもなっていたのかと推測されます。

旅に対して自分の考え方が出てきて、友人とは意見が合わなくなることが多くなってきた時期とも重なるので、かなりのストレスもあったのでしょう。

それが、日本だったら食事が美味しいので、過食という方向もあったかもしれませんが、あの環境では下痢が一番適格だったのだと思います。

私の体は心のメッセージを受け取り、一番表現しやすい下痢でメッセージをくれていたのでしょう。

「こいつ、いつまで気が付かないんだろう」「鈍い奴だな」なんて思われていたと思います。

涅槃

HanaAkari

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