言葉の小槌136 word is magic【鞘に納める】

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言葉の小槌③ 言葉の小槌〈101~150〉
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私は一度抜いた刀を鞘に戻すことが出来ずに、例えそれが諸刃の剣であっても、振り下ろしてしまわないない限り止めることができませんでした。

そして、自分も痛い目にあって後悔することが多くありました。

このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。

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【鞘に納める】簡単に抜刀しない精神に注力したい|言葉の小槌136

【鞘に納める】

一度抜いた刀を相手に向けることなくして、鞘に納めることが出来るだろうか?

私は一度抜いた刀を鞘に戻すことが出来ずに、例えそれが諸刃の剣であっても、振り下ろしてしまわないない限り止めることができませんでした。

そして、自分も痛い目にあって後悔することが多くありました。

そのことから刀を一度抜いてしまうと、鞘に納めることは非常に難しいのではないかと思っています。

もしそのような事が自分を律して出来るのならば、わざわざ刀を抜く必要もなく、物事に対処できると思うのです。

正真正銘の武士道に則り、自分に間違いがあれば自ら過ちを正すことができれば、それ程素晴らしいことはありません。

しかしなかなかそのような境地にはなれなかったり、遠く及ばないにも拘らず、虚勢を張って刀を振り上げたはいいが、どのようにしたらいいのかも分からないようなことの方が多いようです。

下手すれば刀の落としどころが分からいばかりに、それを誤魔化す為に飛び道具まで持ち出してきて、わやくちゃになる一方です。

ちゃんと鞘に納めることが出来ないようだったら、刀を抜かないように努力する方がまだ、やり易いかもしれません。

侍

鞘に納めることが難しいなら、鞘から抜かないというのもやり方だと思います。

一度抜いてしまった刀を鞘に戻すのは至難の業です。

だとしたら、まず鞘から刀を抜かないように意識することに注力する方がいいように思うのです。

刃物を軽はずみに抜き差しする行為の危険さと、いかなる時に自分が刀を抜いてしまうのかを自らに問い、対策を考えてみたいものです。

それは人それぞれで理由は違うでしょうけれども、よくよく考えると刀を抜く必要のある時は、そうそうないように思います。

刀を抜く必要があるのは「泣いて馬謖を斬る」時くらいではないでしょうか?

侍

「泣いて馬謖を斬る」とは「三国志」から生まれた諺です。

中国の古典「三国志」は非常に興味深いものですが、その中で天才軍師「諸葛亮孔明」が才能を買っていた秘蔵っ子「馬謖(ばしょく)」を泣きながら処刑したことから、生まれた諺が「泣いて馬謖を斬る」です。

諸葛亮孔明
諸葛亮孔明

馬謖が孔明の命令に背き、自分勝手に行動したことによって戦いに大敗してしまうのです。

命令違反をし、規律を乱した馬謖を孔明は泣きながら処刑したのです。

目を掛けていた馬謖だけに、それは孔明にとってとても辛いことだったでしょうが、ここで私心でもって馬謖を許すと、全体の崩壊に繋がってしまい取り返しが付かなくなってしまうことが分かっていた孔明は、断腸の思いで馬謖を切ったのです。

それくらいの覚悟がある時だけ、刀を鞘から抜くべきではないでしょうか?

HanaAkari

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