言葉の小槌151 word is magic【桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿】

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桜の木は自然に自由奔放に伸びた末広がりのような枝ぶりに、満開の花が咲き誇るのが魅力なので、桜の木をむやみに剪定するのは良くない。

一方、梅の木は剪定しないと枝張りが乱れ恰好が付かない、良い梅の実も出来ないという。

このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。

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【桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿】◎ケースバイケース|言葉の小槌151

【桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿】

桜の木は自然に自由奔放に伸びた末広がりのような枝ぶりに、満開の花が咲き誇るのが魅力なので、桜の木をむやみに剪定するのは良くない。

一方、梅の木は剪定しないと枝張りが乱れ恰好が付かない、良い梅の実も出来ないという。

ということから桜を切るのは馬鹿な行為で、梅を切らないのも馬鹿な行為だということです。

確かに満開の桜の木が思う存分に枝を広げた姿は圧巻の様ですので、賢くありたいと思うのです。

梅は大きな梅干しは嬉しいものですので、切る「かしこ」も納得です。

春の小川

「桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿」は「ケースバイケース」ということを伝えてくれているのだと思います。

一つの型に落とし込まずに柔軟に判断すること、そういうことでしょう。

桜の場合は切らない方が良いけれども、梅の場合は切る方が良いということは、物事はちゃんと見定めると上手くいきますし、その逆だと馬鹿なことになりますよということなのでしょう。

「素材に合わせた、尊重した対応が良い」そのような言葉が、桜や梅の木から聞こえてきそうです。

梅と鶯

花の声を聞き取れる巷の老人の話

その辺にいる普通のおじいさんが言っていたことです。

ボランティアで町の植木や花壇の整備をしているとのことで、そのことについての体験談を話してくれました。

「花の剪定に精を出しすぎて疲れたわ」から始まった会話でしたが、疲れたのでその日の作業はもう切り上げようと思ったらしいのです。

だけど、出来なかった。

「何でかって?」

「花が切ってくれ、切ってくれと言うもんだから、止めることが出来なかった」そうです。

盛りの時期を終えた花が切ってくれとおじいさんに訴えかけてきたようでしたが、このような方は桜を切ったり、梅を切らないなんて馬鹿はしないのでしょうね。

実際に声が聞こえたのかは分かりませんが、花とのお付き合いも長くなり、心ある方でしたらその経験から「分かる」ことは、きっとあるんだろうと思いました。

畑仕事を生業にしている方などには当たり前のことなのかな?

チューリップ畑

HanaAkari

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