言葉の小槌17 word is magic 【デング熱】

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私は一度「デング熱」に罹ったことがあります

そうして「水掛け祭り」が終わった頃には、食べ物はほとんど喉を通らず意識も朦朧として、目は腐った魚のようだったと思います

このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。

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【デング熱】蚊から伝染、タイで入院した体験から|言葉の小槌17

【デング熱

最近、ニュースで時々「デング熱」のことを耳にしますが、数年前には日本国内でも発生したと騒ぎになったりと、以前までなら考えられない事象でこのまま地球温暖化が進めば日本でも「デング熱」が定着してしまう恐れがあるといったようなことでした。

「デング熱」「マラリア」と同じように蚊に刺されることで、人から人へとうつっていく伝染病ですが、蚊がデング熱感染者を吸血した際にくちばしの先に着いたウィルスを、次に吸血する人に運んでいくことによって感染が広がっていくという仕組みです。

蚊
吸血蚊

蚊に刺されなければ感染しないので、海外から入ったきたとしても日本では冬になると蚊が一旦いなくなるので定着できない伝染病ですので、日本に住んでいる限りは医療体制も悪くないので、過剰に恐れることもないように思います。

同じように毒を持っていて咬まれるとかなり危険だといわれる「ヒアリ」がコンテナに潜み船に乗ってやってきても、同じような原理で寒さに耐えられないので冬になると死滅してしまい、今のところ日本には定着できないということですので、冬という季節に感謝でしょう。

私は一度「デング熱」に罹ったことがあります。

二度目は勘弁していただきたいというのが率直なところですが、その頃は二十代半ばでしたが初めて我が身に「死」というものを意識させてもらえた貴重な経験です。

タイの南の小島で羽を伸ばしていた時に、突如第一の異変が起こりました。

贅沢にも白い砂浜と目の前には青い海、太陽の光が燦燦と降り注ぐ夢のようなビーチサイドで日光浴をしていて、汗ばんだ体の汗を流そうと海に入った途端にとてつもない悪寒を感じて、それ以降寒くて寒くてどうしようもなくなってしまいました。

いかに鈍感な私でも炎天下のビーチで寒いという事態には「何かおかしいぞ?」とは感じたのを覚えています。

次の日にタイの首都であるバンコクに移動する予定だったのは幸いでしたが、炎天下でも悪寒は治まらず、食事に立ち寄った食堂で普段なら冷たくてありがたい氷水を飲んだ時には、現実とは思えないくらいの寒気が起こり、手は箸を持つことすらできない程にまるで漫画のようにブルブルと大きく震えて止まらなくなり食事もできず、それ以降食欲は減退する一方でした。

またタイは年中暑いからでしょうか?冷房の効きがどこに行っても強かったのですが、普段なら心地良いはずが、移動のバスの中ではこれまでの数十倍にも感じる寒さに震えて眠れず、バンコクで行ったデパートでは一歩入った瞬間に強い冷房の冷気で全身の震えが止まらなくなったりしました。

バンコクに着いてすぐに病院に行けば良かったのですが、島に行く前に荷物の大半を旅行代理店の貸しロッカーに預けていて、その中に海外旅行保険の証書もあったのですが、丁度タイの旧正月「ソンクラーン」という水掛け祭りの祭日に当り旅行代理店は休みで、三日間荷物を取りに行くことができなかったのです。

しかし全く動けなかったわけでもなく、市販の薬を飲んでいたのでいずれ治るだろうと、たかを括っていたこともあり、日中は外に出て「水掛け祭り」でタイ人に水を掛けられては震えが発動したり、決まって夜になると悪寒がひどくなり、普段だったら天井扇風機を全開で回していても、暑くて寝苦しい安宿の狭い部屋の中で震えて眠れなかったりと、かなり間が抜けていました。

そうして「水掛け祭り」が終わった頃には、食べ物はほとんど喉を通らず意識も朦朧として、目は腐った魚のようだったと思います。

当時タイでトップクラスの日本語が通じる大きな病院に行った時には、「デング内出血熱です。今すぐに入院して下さい」「もう少し遅かったら死んでいましたよ」などと言われる始末で、足には小さな赤い点々が出ていて、これが内出血ですと説明されたのを思い出します。

「デング熱」「デング内出血熱」と云われる所以です。

保険があったので最高レベルの広い個室に入院できて、食事も日本食が選択できたりと至れり尽くせりでしたが、始めの三日間は食事は喉を通らず、ずっと点滴をしたままの寝たきりで過ごしました。

結局一週間程入院しましたが、その間何もすることがないので、これまで考えたことがないことを何度も何度も自問自答を繰り返しておりました。

体が弱るとなぜか急に日本が恋しくなってきて、「帰ろうかなぁ」という気持ちが起こったのですが、特に目的があった訳でもなく日本を出てから半年以上経過していたので、いいタイミングだったとは思うのですが、なぜかその時には「ここで帰ったらただダラダラと時間を費やしただけになってしまうなぁ」「なんか逃げて帰るみたいだなぁ」「もっと何かがあるかもしれないなぁ」「でも帰りたいなぁ」といったことの堂々巡りでした。

最終的には続行を選択したのですが、その後のことを考えたら続行を選んで正解だったとは思っています。

ただあの時帰っていてもまた別の人生があり、それはそれで良かったのかもしれないですし、どちらが正解といことではないようには思いますが、どのような選択をするにしても「自分で選んだことには自分で責任を持つ」ことが鍵になるのではないでしょうか?どこまでいっても自分にしか分からないところですので。

とは言っても苦しい時には「誰かなんとかしてくれないかな」「ゲームのように一旦リセットしてやり直せないかな?」「なんでこんな事になったんだ」などと考えてしまうものだからしょうがないところでもあります。

未来の世界では悩む選択をしないといけない時には、「Aパターン」「Bパターン」の模擬を「AI」が見せてくれて、それを参考に選択できるようになるのならば、悩まないで済むのでしょうか?内容によっては結局悩むようなことになりそうですが。

私は高校生の時に陰に籠もり「なにもかもが嫌になり考えるのを放棄する」第三の選択肢を試したこともあるのですが、ただ「なげやり」なだけで何も答えにはならなかったです。

今だから言えるのですが、「放棄」するくらいなら「デング熱」になった方がマシかもしれないと思います。

HanaAkari

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