言葉の小槌79 word is magic 【月初参り】

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言葉の小槌② 言葉の小槌 〈51~100〉
言葉の小槌 51~100
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自分自身の「御守りルーティーン」としてと、継続させることで「心のトレーニング」になるかもと思ったのが、始まりでした。

「開運」になっているかどうかと考えますと、良い心の状態を維持できているだけでも、「開運」になっているのだと私は思っています。

このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。

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【月初参り】私の開運、お守りルーティーン神社参拝|言葉の小槌79

【月初参り】

私は毎月1日の日には神社に参拝するようにしています。

それを始めた動機は「開運」目当てでした。

「月初」の1日と15日の二回、神社に参拝すると「開運」に繋がると小耳に挟んだので、月に2回は無理し過ぎで嫌になりそうでしたので、「月初」の月に1日なら継続できるかもしれないので、やってみようと思ったのでした。

それまでも「元旦」には欠かさず神社に参拝していたので、それを毎月のルーティーンにするだけなら続けられるかなとも考えました。

実のところ、私は運が悪いと思ったことはなかったのですが、「開運」という響きに釣られてみることにしました。

自分自身の「御守りルーティーン」としてと、継続させることで「心のトレーニング」になるかもと思ったのが、始まりでした。

私の住処から比較的近くに、摂津の国一宮の「住吉大社」があったこともチャレンジする気になった理由の一つです。

住吉大社 太鼓橋
住吉大社 太鼓橋

「月初参り」をするうちに気が付いたこと

初めはまず毎月、ついたちの日に参拝に行くことが目的でしたので、それ以外はあまり深くは考えていませんでした。

参拝時にその時思いついた「お願い事」をしていただけでした。

そして「御守り」を授かったりするのが嬉しかったです。

そうして毎回、毎回「お願い事」をしていると、「お願い」ばっかりしている自分に疑問が起こって来たのです。

私は「願望祈願」の参拝も時と場合によってはいいと思いますが、それが毎月、毎月となって来ると「お願い」ばっかりしている自分が嫌になってきたのです。

懐の大きい神様は気にしないかもしれませんが、もし私が神様の立場だったら「お願い」ばかりされたら嫌だろうなと思いました。

対神様で考えるから分かりにくいですが、対人間で考えると分かりやすかったです。

いつも「お願い」ばかりしてくるだけの人との交流は、辛くなりませんか?

私は神様に対してそのような行為をしていたのだと気が付いた時から、少しずつ自分なりにどのように参拝したらいいのだろうか?と考え実行するようになりました。

それが正しいかどうかは、神様から直接聞けないので分かりませんが、お願いばかりしている自分が嫌だと感じることなく、私が「月初参り」を継続させるためには必要なことでした。

私は型にはまったことは苦手な方ですが、「月初参り」は敢えてそうした行動を続けてみようと思い立ったのですが、やはり何をやっても無駄なことはないのだと思います。

今でも参拝の作法とかには、四角四面に拘っておらず、「心」重視ですが、「礼儀」として手水舎で手と口を清めたり、鳥居をくぐる前に一礼したり、参道の真ん中は歩かないなどは普通に行っています。

手水舎

私が参拝の時に心掛けていること

「お願い」ばかりの「月初参り」を改めて、参拝の時に心掛けていることを私なりにまとめてみます。

あくまでも「月初参り」の時の場合のケースですので、例えばどこかの神社に行ってみたいなとか、気になった時に、ふらっと寄せて頂く神社参拝の時などは「お願い事」をすることは多いです。

寺社仏閣など教会もモスクも含め聖域のような場所は、寄せてもらえるだけで心が穏やかになりますし、時には「甘えたく」もなりますので、その時の感覚で自分のルールに固執しないようにしています。

「月初参り」の際でも、どうしても伝えたいことがある場合は、特にこだわらないです。

どんな場合でも大切なことは同じだと思いますので、そこは履き違えないように意識はするようにしています。

普通のご挨拶をします。

「おはようございます」

「HanaAkariです」

毎度毎度、「自己紹介」するのは神様にとっては、うるさいかもしれませんが、どちらかというと自分に対しての「けじめ」というのか、「HanaAkari」が自らの意志でここに来ました、対話「よろしくお願いします」という「意志表明」みたいな感じです。

まず感謝の気持ちを伝えます。

「いつもありがとうございます」

私は今月も無事にこの場所に来ることができたことの「有り難さ」が、一番大事なことだと思いますので、まずはこうして「生きてこの場所」に来ることができたことの「感謝」を一番最初に伝えるようにしています。

この場所で生かしてもらっているからこそ、来ることが出来るのですから。

灯籠

先月お伝えした「目標」に対しての結果報告をします。

月の初めに今月の「目標」を決めて神様にお伝えするようにしていますので、それに対しての結果を報告しています。

月ごとに自分のことを見つめ直す機会になり、頭では分かっていても、機会がないとなかなか出来なかったりすることが、自然と出来ますので、自らを振り返って次に向かうことができます。

人間社会と違って結果に対してとかく追求されませんので、素直に本心で伝えることが出来ます。

しかし、何も言われないからとはゆえ、自分で決めた「目標」に対して向き合いますので、自然と努力するようになってきたようには思います。

今月の目標を伝えます。

月の初めにその月の「目標」を明言させてもらっています。

ここで神様の前で伝えることで、自分に対しての「喝」になり、前に進むきっかけになりますので、できるだけしっかりと伝えるように意識しています。

人に対しては言いにくい「目標」「漠然」としたものも、聞いてもらえますので有り難いです。

具体的な目標を伝える時には、無謀な設定はしないように、今の自分を客観視して出来る範囲の努力をした場合の目標を伝えるようにしています。

大きなテーマのようなものは「元旦」に伝えています。

最後に個人的でない「願い事」を伝えます。

個人的な「願い事」「お願い」するのでなく「目標」として表明して、神様に聞いてもらうことで、自分自身の指標にさせてもらっていますが、どうしても聞いて欲しいと思うようなことは伝えています。

例えば、家族や友人の健康などのお祈りはします。

また、戦争や自然災害のような出来事は「いたたまれない」気持ちに苛まれますが、私には手も足も出せませんので、そのような事は「お願い」しかできませんので、神様に丸投げさせてもらってます。

お参り

まとめとして「月初参り」は開運になっているのか?

「月初参り」を行うことで、月に一度必ず意識して神社に参拝しますので、気持ちの整理にもなり、調子の良い時は調子に乗り過ぎないように冷静になれますし、調子が芳しくない時には軌道修正もできますので、現実的な面でもプラスに働いているように感じています。

つい忘れがちな「感謝の心」も意識し直すことができますし、人には言いいにくいことも神様の前では「素直」に言えたりしますので(人と違い黙って聞いてくれますので)、自分の「心の声」に向き合うことも出来ます。

そのようなルーティーン日が「月初」という「節目」の日にあることと、それを継続させてもらっていることは、私にとってはささやかな誇りでもあります。

境内という神様の場所に寄せてもらうのですから、もしかしたら目には見えない恩恵を授かっているかもしれません。

「開運」になっているかどうかと考えますと、良い心の状態を維持できているだけでも、「開運」になっているのだと私は思っています。

HanaAkari

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