言葉の小槌82 word is magic【歩かなければ目的地にはたどり着かない】

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言葉の小槌② 言葉の小槌 〈51~100〉
言葉の小槌 51~100
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「歩かなければ楽しくない」

「歩かなければ目的地にたどり着かない」けれどその前には、初めの一歩を踏み出す「千里の道も一歩から」ですから。

このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。

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【歩かなければ目的地にはたどり着かない】亀の歩み|言葉の小槌82

【歩かなければ目的地にはたどり着かない】

どのような格言も、時には腹立たしいくらいシンプルです。

「歩かなければ目的地にはたどり着かない」

古代インドの「ヴェーダ(インドの聖典)」の中にある言葉のようですが、当たり前のことしか言っていないのに、確信を突いているので反論のしようがない説得力があり、その当たり前のことをしっかりと胸に手を当てて考えなければいけない時が、しばしばあったりします。

課題が大き過ぎてどうしていいのか分からなかったり、努力するのに疲れて諦めたい気持ちの時は、どうしてもあったりします。

たとえ努力していなくても、歩くことを放棄したくなることもあったりします。

「努力」という言葉に飲み込まれてしまって、投げやりになってしまっている時なんかは、どんなにいい言葉でも受け入れることが出来なかったりしますが、私はそんな時はこんな風に考えます。

「歩かなければ楽しくない」

少しづづでも歩いて行くことの大切さは分かりますが、「努力」「忍耐」という言葉を使うと、重圧に負けてしまいそうで、息苦しくなってしまうような時には、少し肩の荷が下りる感じがしてお手頃だと思うのです。

マラソン

私は20代の頃にミーハー心から「ホノルルマラソン」に挑戦したことがあるのですが、マラソンを走る前には少しは練習もしていましたし、運動に関してはそこそこ自信があったのですが、走ってみると自分が予想していた以上に苦しかったです。

20キロ辺りまでは快調に走って行けたので、そこまで2時間掛かっていなかったので、このまま行くと4時間くらいでゴール出来るかな?と調子に乗っておりました。

が、25キロ辺りで急に筋肉が限界にきたのか?脚が痛くなり動かすのが苦痛になってからは、少し走っては歩き、また走っては歩きの繰り返しで、ゴールまで辿り着くにはまさに「歩かなければ目的地にはたどり着かない」ので、痛い脚を我慢しながらなんとか最後まで行ったのです。

私のその時の実力では完全な「オーバーペース」だったのだと思うのですが、コツコツと歩き続けるには「オーバーペース」にならず、焦らず、楽しみながら歩いていくべきだと思います。

ウサギと亀の話

「イソップ物語」にウサギと亀の競争の話がありますが、物語ではウサギに足の遅いのを馬鹿にされた亀が、かけっこの勝負をウサギに挑みます。

ウサギはあっという間に先に行きましたが、少し休憩しているうちに居眠りをしてしまい、その間も亀はコツコツと歩み続け、ウサギに勝利するといったお話です。

ウサギの「過信」を戒めているのと、たとえ歩みは遅くても亀のように諦めずに実直に歩めば、大きな成果に繋がるというメッセージを伝えてくれています。

「オーバーペース」で息切れしてしまった私のマラソン体験から、「亀」の歩みでもコツコツと歩き続けていくことが、最終的にはゴールに辿り着くための、秘訣だったりするのかもしれないと思ったりします。

私はどちらかといえば「ウサギ」タイプで、お話の中のウサギように「慢心」してしまったり、焦り過ぎて「自滅」するといったことが多いので、亀の歩みを意識することを忘れないでいようと思います。

でも、うさぎのように走れる時には、走りたいとは思いますが、「オーバーペース」には気を付けたいです。

ウサギと亀

「千里の道も一歩から」

ことわざでにも「千里の道も一歩から」と素晴らしい表現がありますが、面白いくらいに当たり前ですけど、「千里先に行くためには初めの一歩を踏み出さないと始まらない」という、説明は必要のない格言です。

この言葉はいい言葉で好きですね。

「歩かなければ目的地にたどり着かない」けれどその前には、初めの一歩を踏み出す「千里の道も一歩から」ですから。

そして「亀」の歩みで諦めずにコツコツ歩んでいけるようになれると、嬉しいですね。

元ソ連邦大統領ゴルバチョフ氏が、日ソ関係に対して語った言葉

ベルリンの壁 ゴルバチョフ
ベルリンの壁

元ソ連邦大統領ゴルバチョフ氏は、ソ連邦時代「ペレストロイカ」という大改革を行った方ですが、「ペレストロイカ」「建て直し」を意味し、それまでの「共産主義」の価値観を大きく変える程のことでした。

かつて「鉄のカーテン」と呼ばれ、ソ連邦は封鎖的な状況でしたが、「ペレストロイカ」と共に「グラスノチ」=「情報公開」も推し進めました。

残念ながらクーデターにより失脚することになり、「ペレストロイカ」は中断されることになりました。

その偉大なる戦士が生前、日ソ関係について語った言葉を抜粋しておきます。

私の立場は、協力関係を築き、互いの国民の認識を変え、さらに、地域・国際情勢の変化によって、問題解決のための最適なアプローチを探すことでした。日ソ関係においても、このようにして両国の関係を新しいレベルに引き上げようとしました。訪問の結果、私と海部首相は、日ソ共同声明と一連の分野に関する15の文書に署名することができました。

しかし、ペレストロイカが中断し、残念ながら私たちの関係発展は行き詰まってしまいました。新しい政権は、我々とは異なる彼ら自身の政策とビジョンを持っていました。私は今でも、大きな成果を上げるためには、あらゆる分野での協力発展、それに首相、閣僚、専門家レベルでの協議が必要であると確信しています。これが相互の信頼を醸成できる唯一の方法であり、それなくして、困難な問題の解決につなげることはできません。議題を拡大することも必要です。たとえ難しい時でも、対話を中断すべきではありません。交渉を恐れずに、最も困難な問題を議論の俎上に載せなくてはなりません。

古代インド・ヴェーダの格言があります。ラテン語の文書や聖書、世界の古典作品など、世界中で使われてきた言葉です。

歩かなければ目的地にはたどり着かない

生前JNNの取材時の言葉から抜粋

HanaAkari

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