言葉の小槌90 word is magic【サドゥー】

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インド、ネパールのヒンドゥー教徒には独特の出家スタイルがあります。

知っているネパール人が「サドゥー」になりました。

サドゥー

このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。

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【サドゥー】ヒンドゥーの出家と死生観についての…|言葉の小槌90

【サドゥー】

インド、ネパールのヒンドゥー教徒には独特の出家スタイルがあります。

世俗的なものを捨て、解脱を目指して修行する行者を「サドゥー」と呼び、ヒンドゥー教の仙人といっった感じですが、仙人のように必ずしも山に籠もっておらず、町中でも頻繁に出会いました。

サドゥーは姿、恰好が独特なので非常に目立ちます。

全てのサドゥーがそうではありませんが、イメージとしてはレゲーの神様「ボブ・マーリー」を乞食にしたような感じです。

ドレッドヘアーのサドゥーはよく見ました。

サドゥー

違ったタイプのサドゥーではアボリジニとかアフリカの部族の人から、装飾を減らして質素にしたような感じの方もいました。

裸に近い恰好のサドゥーや、布一枚を体に巻き付けたような服を着たサドゥー、温泉に入るサドゥーもいました。

インド北部のマナリーという場所には温泉があったので、インドではずっと水のシャワーで過ごしていたこともあり、嬉しくてしばらく温泉に通う日々を送ったことがあったのですが、その温泉には必ずサドゥーがいました。

サドゥーには真剣に悟りを目指している人もいるようですが、旅行者がよく訪れる場所にはビジネスサドゥーもいましたので、温泉サドゥーは怪しいものでしたが、金銭を要求されたりはしませんでした。

もちろんインド、ネパールには「ババ・ジー」と呼ばれ、尊敬されている本物のサドゥーもいます。

サドゥー

知っているネパール人が「サドゥー」になりました。

人の縁というものは不思議なものだと思うことがありました。

知人のお坊さんと15年ぶりくらいに会ったのですが、その時にその方から、共通のネパール人の知人がサドゥーになったということを教えてもらいました。

写真も見せてもらいましたが、面影はありましたが、髪と髭は伸び放題のルンペンみたいなサドゥー姿ですから、写真だけ見ても説明されなければ分からなかったと思います。

このネパール人の方は、私がネパールのポカラという場所で宿泊したゲストハウスのオーナーさんでして、当時は若くてチャラい感じの人だったので、大きなお世話ですが、その人の人生に起こった歴史や心境の変化がとても気になりました。

サドゥー

ゴータマさんという方ですが、ゴータマはお釈迦様の本名の「ゴータマ・シッタールダ」と同じです。

ゴータマさんとはインドのサールナートにある日本寺で、私がゴータマさんのゲストハウスに泊まってから、2年後くらいに再会したことがあったのですが、全てに知人のお坊さんが関係しています。

知人のお坊さんはバックパッカーとしてネパールのポカラでゴータマさんのゲストハウスに泊まっていたようで、その後にインドのサールナートの日本寺で会った日本人のお坊さんに光を感じ、運命の出会いがあって、出家された方です。

そして日本での修行を終えた後、インドのサールナートの日本寺に在住して修行をしていました。

その時期に私もネパールでゴータマさんのゲストハウスに泊まって、インドに戻ってきた時に、サールナートの日本寺に観光で寄ったのがきっかけで、知り合うことになったのです。

私はインドの底なしの魅力にはまり、当初はパキスタンを抜けてもっと西の方の国々へ行く予定だったのを、インドでの滞在に変えたくらいインドに魅了された旅行者でした。

それから1年後くらいに日本に戻り、その1年後くらいに発作的にインドに行きたくなり、再びサールナートの日本寺に行った時に、ゴータマさんとも再会しました。

サールナートの日本寺では年に一度、お祭りを催していたのですが、知人のお坊さんがゴータマさんを招待したようです。

そこで家族全員でネパールからやってきたゴータマさん一家と再会した時はびっくりしましたし、その時に知人のお坊さんが、ネパールでゴータマさんのゲストハウスに泊まっていたことがあり、知り合いだったことを知りました。

人の縁というものは不思議だとしか思えません。

サドゥー

ヒンドゥー教徒の「死生観」が、ゴータマさんがサドゥーになった理由だと思います。

古代からインド、ネパールの人の「死生観」には4つのステージがあるとされ、人がどのように人生を送れば良いかという指標のようなものがあります。

ゴータマさんはその「死生観」で、第ニの人生の道に入っていったのかと思いました。

インド、ネパールにある古代からの人生哲学
  • 学生期(がくしょうき)
    〈0歳~25歳頃まで〉学ぶ時期
  • 家住期(かじゅうき)
    〈25歳~50歳頃まで家庭を持ったり、仕事に専念する時期
  • 林住期(りんじゅうき)
    〈50歳から75歳頃まで〉第ニの人生に入り、内観する時期
  • 遊行期(ゆぎょうき)
    〈75歳以降〉 終活の時で、悟りに向かう時期

インド、ネパールはお釈迦様が生まれた国だけあって、精神性の深さを感じます。

私の知人のお坊さんも信念のある方なので、将来には次のステージに向かって動きだすような感じを受けました。

私はせめて、爪の垢を煎じて飲ませてもらおうかと思う次第です(笑)

HanaAkari

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