言葉の小槌95 word is magic【松茸】

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言葉の小槌② 言葉の小槌 〈51~100〉
言葉の小槌 51~100
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母の子供の頃は、秋になるとマツタケは嫌というほど食べたそうです。

マツタケ山を復活させようという取り組みについて、目から鱗が落ちるようなことを知りました。

このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。

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【松茸】香り最高、希少な理由は意外なことでした。|言葉の小槌95

【松茸】

「香りマツタケ、味シメジ」という言葉がありますが、香りの良い茸がマツタケで、味の良いのがシメジだと、昔に母に教えてもらいました。

私の子供時代でもマツタケは高級品で、秋の味覚の代表として秋には必ず、話題に上っていました。

昭和の50年代頃の記憶ですが、初物が高値で取引されたとか、これまでの最高記録だとか、国産は高くて庶民には手が出ないので、韓国産や中国産だとまだ買いやすいが、香りが弱いとか、秋になると必ず耳にしました。

私は秋になると年に一度はマツタケを食べさせてもらえたのですが、おそらく母が子供の頃に食べていた味を懐かしんでいたのだろうと思います。

母の子供の頃は、秋になるとマツタケは嫌というほど食べたそうです。

秋の収穫

食べたというよりも、生活の足しにするために季節ごとで自然に手に入る食材を、自分たちで摂ってきて食べていたようです。

マツタケ以外でも、春ですとツクシタケノコを摂ったり、秋ならギンナン栗拾いだとか、鶏も飼育していたみたいです。

里山と共に生活があった時代のことです。

母は兵庫県の西宮市の山手の方の出身でしたので、それ程田舎という場所に住んでいた訳ではないのですが、日本が経済的に高度成長をする前は、少し郊外に行くと自然と共に生活をするのが、普通のことだったみたいです。

山も川も海も凄く綺麗だったようです。

私の子供時分が高度成長期の真っ最中だったので、ドブ川を見て育ったのもあり、そのような話を聞くと羨ましく思ったりしました。

ただ母が言うには、当時は貧しかったので仕方なく食べていた節もあり、あまり嬉しくなかったみたいです。

旬の時期になると、同じ食材ばかり毎日毎日食べることになるので、それは苦痛だったようで、「たとえマツタケでもそればっかり食べていたら嫌になる、たまに食べるから美味しいと思える」と言っていました。

なんとなく分かる気はしますが、旬の食材を食べるので体には良いことでしょうし、自然と共に生きる健康な生き方のように思え羨ましく感じますが、自分がそのような立場に身を置いていないから、そう思えるところもあるのだと思います。

無いものねだりですね。

私は一時期田舎に住んでいたことがあるのですが、里山と共に生きる生活を見直そうという活動が、定期的に行われていました。

一度そのようなセミナーに参加した時に知ったことで、「マツタケ」についてとても意外だと感じたことがありました。

松茸

マツタケは自然破壊で減少しているのではなく、日本人の生活スタイルが変わったから減少しているようです。

マツタケ山を復活させようという取り組みについて、目から鱗が落ちるようなことを知りました。

私はマツタケが日本で摂れなくなってきているのは、経済発展の代償として自然破壊が進んだからだと考えていました。

様々の生物が絶滅して行くのと同じように思っていたのです。

セミナーでは「マツタケ」が摂れなくなっている理由は、人間が自然に干渉しなくなったのが理由だと教えられました。

具体的には里山の文化が失われてしまったからだということです。

昔の人々の生活の場は、人の住む集落(里)と、田畑、周辺の山(里山)が、一体になって成立していました。

田畑の土作りの為に、落ち葉や枯れ枝を山に集めに行ったり、薪を拾いに行ったりと、里山と呼ばれる山は人々の生活に欠かせませんでした。

マツタケは赤松にのみ育つ茸ですが、赤松と共生関係にある茸だそうです。

松という木は、貧栄養の過酷な環境で育つことができる木で、むき出しにの岩肌に松が育つことができるのは、松がそういった性質の木で、赤松の場合はマツタケが共存することで、お互いに栄養を補給し合うことで、貧栄養でも育つことが出来るのだと知りました。

そういった背景があり、昔は里山に人が枯れ葉を集めに行くので、里山は腐葉土が積もって土が肥えることがなく、貧栄養の山でした。

そのような環境が、赤松マツタケには最適だったのです。

里山

それが生活スタイルの変化に伴って、里山を利用することが無くなったので、山は放置され、少しずつ落ち葉は積もり、土が肥えてきて、植生が変わってきたことが、マツタケが生えなくなった原因ということでした。

赤松マツタケと共存しなくても栄養が摂れるようになり、マツタケを必要としなくなり、さらには里山の土が松にとっては栄養過多になってしまい、松枯れの原因の一つになっているとも言われています。

人の手が入った環境がマツタケを育んでいたことが意外でしたし、禿山のような環境の方が、赤松マツタケにとっては好まれるというのも面白いことです。

マツタケ山を再生させるには、以前にマツタケが生えていた山の表層部分に積もった腐葉土を除去し、かつての里山のような環境にすれば、マツタケの菌が生き残っていれば、自然と再生する可能性があるとのことでした。

マツタケにとっては人間は居なくてはならない存在のように思え、自然破壊をしている人間もやっぱり自然の一部なんだと感じます。

HanaAkari

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