旅の玉手箱【上海】〈中国編-1〉

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旅の玉手箱〈中国編〉旅の玉手箱〈中国編〉
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中国での動き
  • 上海
    〈Shanghai〉

    午前に大阪からの船が大都市「上海」に到着。

  • 昆明
    〈Kunming〉
    中国雲南省の省都。雲南省は少数民族が多い場所。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【上海】フェリー下船後は感謝とパンダと…|旅の玉手箱 中国編-1

【上海】

台風の影響で予定の出航日から二日遅れで、大阪南港から上海行きの船に乗りました。

中国の昆明で友人と合流する段取りですが、連絡も付けれないまま二日遅れでの出発でしたので、不安で仕方がなかったのですが、出航してしまうともう後戻りはできません。

船内にてまずやるべきとに取り組みました。

中国ビザを船内で取得する必要があったのでまずそれを済ませ、上海に着いたら真っ先に上海→昆明までの飛行機の予約の変更をする必要がありましたので、船内にあるツーリスト案内場で、航空会社の所在地と連絡先を入手して一段落しました。

上海までは丸二日掛かりますので、その間に航空会社にて必要なことを伝えるために、ガイドブックで旅行英語の丸暗記に取り掛かりました。

しかしのんびり出来たのは船が瀬戸内海を航行中の間だけで、外海にでた途端、台風の影響だと思うのですが、波が高く船は大きく揺れました。

私はそれからずっと酷い船酔いで寝台から起き上がることもできず、ずっと横になっていました。

起き上がると船酔いが増し目が回るので、ほとんど動けなかったのです。

二日間で口に入れたのは、食べ残したカップヌードルだけでした。

とても疲弊した状態でしたが、上海近くになると河を遡っているようで、良く写真とかで見かける「上海タワー」が見えてきた時には感動しましたし、「さあ、これからだ」と気合いが入りました。

上海
上海

右も左もまったく分からなかったので、下船する人の中には日本人のバックパッカーらしき人達が結構いましたので、取り敢えず付いていくと船着き場から、当時日本人のバックパッカーの間では定石となっていた、上海のゲストハウスの送迎バスが待機しており、みんな乗り込むので私も乗り込みました。

宿に着くと他の人は宿泊の手続きと両替を始めましたが、私は予約変更して明日乗る飛行機の出発時間が朝早かったので、何処にあるのかも分からない、そのゲストハウスに泊まるのはマズイと判断して、しれっと他の人に紛れて両替だけしてもらい、航空会社に向かいました。

すぐにタクシーに乗り、航空会社の住所を書いたメモを見せると、漢字ですので何も言わなくても向かってくれた時には最悪、「筆談」という手も使えるかもしれないと若干の余裕も出てきました。

が。

到着した航空会社のオフィスは閉まっていて、営業していなかったのです。

何度も看板の文字を確かめましたが、店名も住所も絶対に間違いがないので、「休みだ、どうしよう…」と完全に八方塞がりで途方に暮れました。

しばらくその場に佇んでいましたが何を思ったのか、私は当てもなくただ歩き始めたのです。

全く知らない場所を異邦人がただ一人彷徨っていると、周囲の景色もなんとなく敵意を持っているかのように感じ、下町のような場所でしたがそこがスラム街かのように感じ、怪しいのは私なのに人々の視線に、黙って監視されているようにも感じました。

バックパックは重たいし、疲れてきて意味もなく腹が立ってきたのを憶えています。

上海

「日本語を話せるところで相談しなければ…」

突然そう思い立ったのです。

今あるかは分かりませんが、当時ガイドブックに載っていた「日航ホテル」に行けば日本語が通じるはずだと、すぐにタクシーを捕まえて向かいました。

何の躊躇もなくタクシーに乗れたのも、切れ気味だったのだと思います。

タクシーの中で、なぜか日本語の歌がラジオから流れてきて、なんか嬉しくなって「ホッ」と出来たのは天の助けでした。

その時、目が潤んだのは、精神がギリギリだったんだろうと思います。

「世界中の誰よりきっと」WANDS with 中山美穂バージョンでした。

その後に中国語バージョンが流れましたので、中国の歌手がカバー曲を出したので、その元歌の紹介で放送していたのではないかと推測しました。

「日航ホテル」にはすぐに着き、館内にあった旅行代理店に相談をすると、流暢な日本語で客でもないのに丁寧に対応して頂き、航空会社に電話をしてくれました。

航空会社は移転して別の場所で今日も営業していると分かった時には、「何とかなるかもしれない」と本当に嬉しかったです。

大変親切にして頂き、ありごとうございました。

その後の航空会社での飛行機の予約変更は、職員の方は親切でしたし、それまでの出来事からすると非常に「あっさり」としたものでした。

パンダ
パンダ

その後、ここで失敗する訳にはいかないので、空港近くの高価なホテルにチックインして、次の日の朝早いフライトに備えたのですが、すぐ近くに「上海動物園」があったので、もう夕方でしたが「上海」に来たのだから、せめて「パンダ」だけでも見ておこう思い、閉館時間も押し迫っていましたので、動物園内を「パンダ」の所までまっしぐらに行ってトンボ帰りしました。

唯一、「上海」でした観光です。

両替したお金が残り少なかったので、夜はホテルの売店で買ったナッツと、缶ビールだけで過ごしました。

私の「上海」の思い出は「感謝」「パンダ」「WANDS」です。

HanaAkari

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