このブログは私がバックパッカーとして、2000年11月~約半年の間に二度目のインド・ネパールの旅で訪れた仏教聖地を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。
【クシナガル】釈迦入滅の地、侘しい情緒がありました。|旅の玉手箱 仏教聖地編-5
【クシナガル】
ブッダ入滅の地として仏教四大聖地の一つとされる〈クシナガル〉ですが、私が訪れた時は他の四大聖地のように活気が無く、聖地として盛り上がっている感じはありませんでした。
その分、釈迦入滅の地として侘しさが符合しているようでした。
ほとんど何もない静かな田舎町でしたが、仏教徒によって辛うじて聖地の模様を呈していたようです。
釈迦は北枕で西に顔を向けて入滅したと伝えられており、そこから北枕は縁起が悪いと言われたりしますが、悟りを開いたブッダが北枕は縁起が悪いなどと発言するとは思えませんから、きっと後世になって語られるようになった迷信なのだと思います。
釈迦入滅に関してこちらも迷信かもしれませんが、あながち本当に起こったことかもしれないという話があります。
釈迦が入滅した時に近くにあった沙羅双樹の木が、一斉に白い花を満開に咲かせ、まるで鶴が一面に舞い降りて来たようだったそうです。
植物は心を持っていると言われますから、沙羅双樹からブッダへのたむけだったのではないでしょうか。
平家物語の冒頭部分を思い出します。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。たけき者も遂には滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ…
私が〈クシナガル〉に訪れた時期は冬の時期でしたから結構寒くて、日夜の寒暖差も激しく薄着が堪えました。
なぜかそんな切なさと、ぺんぺん草が寂しく生えているような情景が似つかわしい場所だったように思います。
釈迦入滅の地には枯草の美学が似合っていました。
村の子供が家の前で、金属プレートの食器を灰を使って洗っていました。
釈迦の時代のインドには、大小様々の王国が割拠していました。
釈迦は〈カピラヴァストゥ〉の都を統治する王、シャカ族の王子として生まれ、本名は〈ゴータマ・シッタールダ〉です。
〈カピラヴァストゥ〉近郊の〈ルンビニ〉で誕生し、生まれたばかりの時に七歩歩いて、天と地を指さしながら「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」と口にしたという話は有名です。
ブッダ生誕の地〈ルンビニ〉は、現代はネパールにあります。
その後、出家し悟りを得た〈ゴータマ・シッタールダ〉は〈覚者=ブッダ〉として、マガタ国の都〈ラージギル〉=〈王舎城〉にあった〈竹林精舎〉、近郊の山〈霊鷲山〉、コーサラ国の都〈シュラヴァスティ〉=〈舎衛城〉に建てられた〈祇園精舎〉、共和制の連合国、ヴァッジ国の都〈ヴァイシャリー〉などを中心に北インド地域で教えを説いて回りました。
地図を見ると入滅の地〈クシナガル〉は、その中心に当たる場所のようで不思議な気持ちになります。
HanaAkari