旅の玉手箱【プンツォリン】〈ブータン編-1〉

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旅の玉手箱 〈ブータン編〉 旅の玉手箱〈ブータン編〉
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〈ブータン〉での動き
  • ダージリン
    Darjeeling
    〈ダージリン〉から近くにある〈ブータン〉の町には入国できるということを知り、行ってみることにしました。
  • プンツォリン
    Phuntsholing〈ブータンとインドの国境の町〉

    プンツォリン〉は〈ブータン〉の町です。この町だけビザが無くて外国人も簡単に入国できました。インド側から国境の門をくぐった先がブータンの町プンツォリンした。人種も違えば文化も違うので、一気に異国に来た感じがありました。ここでのことは宿泊した宿のご主人さんとの縁で、とても感慨深いものとなりました。

  • 名もなき集落
    〈小さな集落〉へ宿泊することになりました。子供たちがいっぱいいました。
    〈ブータン〉国内へはプンツォリン以外〉の場所には特別な許可がなければ行けませんが、インド側から山に分け入り、細い山道を一日掛けて登った先にある集落でした。厳密には不法侵入になるのかもしれませんが、宿の方の御縁から仲間がちょうど集落に出向くので、良かったら一緒に行ってみては?と声を掛けて貰ったので、貴重なご厚意に預かったのでした。
  • カルカッタ
    〈Culcutta〉
    プンツォリンの後はインドの〈カルカッタ/現在はコルカタ〉に向かいました。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【プンツォリン】雷龍の国のチーズモモ。忘れてはいけない、おもてなしの心に感謝。|旅の玉手箱 ブータン編-1

プンツォリン

〈ブータン〉は自国の文化を大切にする為に外国人観光客の入国には制限を設けているので、しかるべき手段を使わないと入国することは出来ない国です。

その分、自国の文化、風習、伝統が守られていましたし、現代の主流である西洋思想や経済観念からはとても貧しい国だとされても、世界一「幸福度」が高い国として非常に興味深い国でした。

しかし、現在では経済発展に伴い、情報化社会も相まって、国民の幸福度は急激に下がってきているようですので残念ですし、お金や経済の在り方に疑問を感じるところで、皮肉なことにブータンの国民に起こった現象が、お金がだけが幸福の基準ではないということの証明になっているように思えます。

ただ、現代のように目まぐるしく発展する世界の中で、「鎖国」を貫き通すことも出来ないのもしょうがないことだと思いますので、ブータン国旗に堂々と飛翔する「雷龍」のように再び、チベット仏教の深い智慧と共に新たに舞い上がってもらいたく思います。

ブータン国旗

私の縁を頂いた時の〈ブータン〉での出来事を思い起こしてみたいと思います。

プチ鎖国のような国〈ブータン〉でも外国人でもインドの町と簡単に行き交い出来る唯一の町が、〈プンツォリン〉でした。

当時は〈プンツォリン〉の町に入るだけなら、ビザの取得は必要がなく、インド側との国境にある門をくぐれば、そこは〈ブータン〉の町〈プンツォリン〉でした。

国境の門をくぐると、インドの町とは一気に雰囲気が変わりました。

騒々しいインドの町と違い、〈プンツォリン〉は落ち着いた雰囲気で、当時はブータン人の大半は民族衣装を着て生活していましたし、顔立ちもモンゴロイドですので、日本人に似ていてインド人とはまるっきり違うので、一気に異国に来た感覚はありました。

門を一つくぐっただけなのに不思議な感じでしたが、そこはチベット仏教の国、世界一幸福な人々が住む国の一端なのでした。

町中を見物しながら歩き回っていると、上り坂になった道の前が封鎖されていて、警備の人が立っており、よく見る国境らしい光景の場所がありました。

そこから先は外国人は許可がなければ行くことの出来ない、秘境ブータンへのゲートでした。

私が民族模様や伝統柄といったもに非常に興味がそそられますので、チベット仏教の流れであるブータンの民俗的なものは見ているだけでも非常に楽しかったです。

エンドレスノット職人

そして記念として魅力的なチベット柄の刺繍ものを購入しようと決めたのですが、ブータンの人々が身に着けているような、味のある感じのものは売っておらず、基本の柄は同じでもお店では安っぽいものしか見つけることが出来なかったので、宿の方に相談してみました。

〈プンツォリン〉は居心地が良かったのでしばらく宿泊したのですが、宿泊した宿の主人がとても親切な方だったのも一つの理由でした。

そのような感じでしたので気軽に相談してみると、良いものはこの辺りでは手に入らないということでしたが、奥さんの所持品の帯でよければ譲りますと提案されました。

見せてもらった帯が私が望んでいた以上のものでしたので、一目で気に入り買い取らせて貰ったのですが、所持品ですから少し気が咎めましたが、欲望が上回ってしまいました。

今でもその帯は飾り物として部屋の壁に飾っていますが、深い緑色の帯にチベットの吉祥紋であるエンドレス・ノット(宝結び)の模様が色鮮やかに並んで刺繍されたものです。

〈ブータンの民俗衣装〉 男性は「ゴ」、女性は「キラ」という日本の呉服のような衣装です。

男性が「ゴ」と呼ばれる甚平みたいな日本の着物とそっくりな民族衣装を着用しているのですが、この格好は時代劇で見る江戸の町民の姿に瓜二つです。

顔立ちも似ていますので、大昔には日本人とブータン人には何かしらの繋がりがあったのではないか?と思ってしまいます。

女性は「キラ」という民族衣装を身に着けていますが、生地の感じはアジアの少数民族にあるような民族柄と質感が似ているようですが、形状は隣国インドのサリーからインスパイアされたようです。

サリーと日本の着物のハイブリット形といった感じでしょうか?

ブータン人

「チーズモモ」を食べながら「輪廻」の話を聞きました。

今、思い起こすと宿泊した宿の主人には甘えっぱなしでした。

当時は図々しくも深く考えずにご厚意に甘えてしまっていたのですが、今では本当にありがたかったことだと思います。

宿泊した宿の主人はなぜか私たち日本人3人組を好いてくれたようでした。

毎晩のように近くのレストランに誘ってもらって、いつも御馳走してくれるのです。

よくよく考えれば私たちの宿泊代金の儲けはそこでの食事代に代わってしまったのではないでしょうか。

非常に親切に可愛がって頂けたこと、ありがとうございます。

そこで初めて「チーズモモ」という料理を食べさせてもらい、あまりの美味しさに驚いたのでした。

「モモ」というチベット料理は、日本でいうと「肉まん」です。

中国周辺の国々にある、肉まん、饅頭、餃子といった料理のチベット版ですが、ネパールやチベット文化圏では「モモ」という名称ですが、見た目や味もよく知った馴染みがある、間違いのない美味しさが嬉しかったのです。

「チーズモモ」は文字通り「チーズ入りモモ」のことで、絶品でした。

慣れ親しんだ味ということもあるでしょうが、思わずがっついてしまうのは美味しい証拠だったと思います。

「モモ」に使う肉はチベットではヤクの肉を使うと聞きましたが、そこの「モモ」はヤギの肉を使っていたようです。

チーズもヤギの乳から作られるようで、これが少し癖があっていいんですね。

そんな「チーズモモ」を御馳走になりながら、ご主人さんは「輪廻」のことについて話をしてくれました。

ブータン

お互い拙い英語力同士でしたが、「サークル」という風に表現されていたので、推測すると「輪廻」や「運命」そういった感じなのだと思います。

いつか「輪廻」のことついて、本を書こうと思っていると言っていたのが印象に残っています。

そういったことを日常から考えたり、勉強したりしながら生活をしているんだということに驚きました。

何も考えずにその時を楽しむような放浪の旅をしていたあの頃の私には、異次元の感覚でしたし、そのような方に損得勘定のない善い心をお裾分けして頂けたのは、後々の私の糧になったのかもしれません。

HanaAkari

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