「弥勒」 宮田登著 を読んで

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弥勒〈読書感想文〉 〈日本人〉作品を読んで
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「弥勒の世」極楽世界の発想は昔から世界各地にあったようです。

「弥勒菩薩半跏思惟像」は広隆寺の本堂に静かに鎮座し、人々を救う為に忍耐強く思案しているといわれます。

お寺ということで、「弥勒」とは仏教的な思想かのように思いがちですが、あらゆる宗教、精神世界、思想に見受けらるようですから、少しは勉強しておこうかと思いました。

弥勒菩薩

そして、私が聞き齧ったことのある「弥勒」に関するお話以外に、日本のみならず、世界各地に「弥勒」にまつわる伝承があり、思いの他古くからブームを繰り返していたのを知りました。

一般的な人の領域からは、にわかには信じがたいものや、逆にこれはあまりに世俗的過ぎなのではないですか?と感じるものまであって、面白かったです。

山伏

私はどれが正しいとか、間違っているとかという判定を下す立場ではありませんし、分かりませんので、それぞれについてあれこれと考えたりしないのですが、「弥勒」という思想は、世の中に不安が多く蔓延った時に盛り上がって来たような印象を受けました。

切羽詰まってきてやっと真剣になってくる人間のサガを上手く利用して、やはり何か無限なるものから成長を促されているのかもしれないと思います。

「弥勒の世」の到来には、極端な発想で二通りあるような記述があったのですが、どちらが好みかは人それぞれなんでしょうね。

一つは、その時が来たらメシア(弥勒)が現れて、一斉衆生を素晴らしい「弥勒の世」に連れて行ってくれるというもので、まさに天から救済が降ってくるという発想です。

もう一つは、日々の困難や災難、争い等に諦めることなく、克服する努力を通して精神的な成長をしていくことで、世界は「弥勒の世」に変わっていくといった発想でした。

私は一つ目であってくれれば、そんなに嬉しいことは無いと思うのですが、たぶん後者を無しにしてそんな都合の良いものは訪れないのだろうと思います。

天に意志があったとしても、未来がどうなるのかは、私たちの行いに委ねられていて、「地上天国」のような「弥勒の世」が出来るのか、自滅するのかは私たちで決めることなのだと思います。

「弥勒」とは一人一人が「弥勒菩薩」になるということで、スーパーマンのような救世主一人の出現で起こるものでないのではないでしょうか?

もちろん、ある日天から救いの光が降りて来て、救ってくれるのなら楽ですし、それに越したことはないと思うのですが…そんなに世の中は甘くないと思いますし、神の世界はもっとシビアなんではないのかと想像して、嫌になるので想像するのを止めて…くわばらくわばら…

救世主

もしかしたら「物質」と「精神」の天秤があって、1mmでも「精神」の方に傾けることが出来れば「勝利」なのではないでしょうか?

まず個人的な妄想だとお断ります。

身分不相応にも今の私が「弥勒の世」に行くにはどうすればいいのかと考えると、ほんの少しでも「精神性」の方に天秤を傾ければいいだけなのではないかと想像します。

天秤

よく「精神」と「物質」とが対比されますが、どうしても「物質」重視になってしまいがちで、それが増えれば増えるほど悪循環を引き起こすのではないでしょうか?

もし「物質」と「精神」とが秤にかけられているとしたら、大きく「物質」に傾いているような世界のあり様が簡単にイメージできます。

仙人のように霧や霞を食べて生きていけることはないので、当然食べていくことは必要ですが、食べるためには何をしてもいいという発想も違うのではないでしょうか?

ここが辛いところで、言葉にするとバランスが必要だと簡単に言えるのですが、それが出来ないから「難」は無くならずに苦労しているのだと思います。

ただ、極端に「精神」の方に傾ける必要はなくて、ほんの僅かでも一人一人のパワーバランスが精神性優位に傾けば、世界は一気に「弥勒の世」に向かっていくのではないのでしょうか?

たった1mmだけでも、一人一人が上手くやれれば、よく言われる「大難は小難に小難は無難に転じる」好循環の現象が起こるのではないかと想像します。

弥勒菩薩

HanaAkari

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