マジやばい面白さ、斬新な発想のお陰で初めて「古事記」を完読出来ました。
私がたまたま入った高校は「神道」の学校だったので「神道」の授業があって、「古事記」との初めての出会いは強制的なものでした。
それ以降、何度も完読しようと試みたけれども、一度たりとも最後まで読むことが出来ないままでした。
古語での文体に馴染めず、小説を読むよう没頭出来ないまま途中で挫折するのです。
または、流し読みする所も多く、だだ読んだふりになってしまうだけでした。
私には「古事記」はそのような存在でしたが、この「口訳 古事記」のお陰で、初めて最後まで楽しく読むことが出来ました。
学者さんや真面目な方々からすると、けしからん内容になってしまうかもしれない試みかもしれませんが、私のような小難しいのは苦手だけれど「古事記」には興味があるような人には、痒い所に手が届いた傑作ではないでしょうか。
現代語訳でもない、現代人が日常で口にするような喋り言葉での「古事記」なので、普通に入り込めました。
さらに、かしこまった言葉を使わず、オフィシャルな場面では不向きな、庶民の日常の汚い言葉を駆使しているので、はっきり言って下品な感じはしますが読みやすいので、面白くてドンドン読むことが出来ました。
「マジ」「アホ」「シバク」等々、お下品な関西弁のオンパレードでした。
退屈になりがちな古典を、「口訳 古事記」は奇抜なアレンジで最後まで飽きさせないように取り計らってくれたのだろうと思います。
この度、反則的とはゆえ、最後まで「古事記」を読めたことで知ったエピソードもありました。
〈仁徳天皇〉の税に関する「聖帝」エピソードが興味深かったです。
「古事記」は神話的な要素と、実際の歴史とが混ぜ合わさっているような感じがします。
神話から神の系譜を受け継ぐ天皇のエピソードに繋がっているのですが、その最後が〈仁徳天皇〉の項でした。
この度、「口訳 古事記」だからこそ最後まで読み進めたことで、〈仁徳天皇〉の素敵なエピソードを知りました。
私は子供の頃、大阪の堺市で育ち、今では世界遺産にもなっている〈百舌鳥古墳群〉〈仁徳天皇陵〉の近くで生活したけれども〈仁徳天皇〉のことは何も知りませんでした。
〈仁徳天皇陵〉が世界一巨大なお墓だと教わっただけです。
「口訳 古事記」の中で、〈仁徳天皇〉は「聖帝」として記されていました。
山の上から地上の民家を眺めたら、ご飯時だというのに炊事の煙がちっとも上がらないことで、民衆が困窮しているのが分かった。
それより三年間、民衆から税金を取ることを止めた。
その間、国家はなんとか貧しさを凌ぎ、三年が経過した。
再び山の上から地上を見下ろすと、国中に釜の煙が満ちていた。
そこで課税を再開したが、人民は繁栄していたので余裕で納税が出来た。
これをもって〈聖帝の世〉と呼ばれたそうです。
良心で見てみると、〈仁徳天皇〉が世界一のお墓に埋葬されたのは、人々の心の顕れだったということでしょう。
HanaAkari