「密教の水源をみる」空海・中国・インド 松本清張著 を読んで

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密教の水源 をみる〈読書感想文〉 〈松本清張〉作品を読んで
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「密教」の水源は何処なのか?「空海・中国・インド」気になるワードが繋がりました。

私は松本清張氏のことを推理小説家だと思っていたのですが、推理小説以外にも違ったジャンルも手掛けていたようです。

この「密教の水源をみる」空海・中国・インドのように、テーマに基づいて実際に現地視察に行った旅の記録もありました。

実はタイトルを見た瞬間に、私が気になる単語ばかりが並んでいたので、内容をよく吟味するまでもなく、即決で読んでみようと思った次第です。

読んでみてまず感じた印象は、文章がとても端的で切れが良く、松本清張氏の鋭い目線が捉えた旅の一コマへの率直な感想が面白く気に入りました。

中国でのある時のことに、このような一言がありました。

「山紫水明」の絵だけが、現代の中国を表現するのではなかろう。いまや旅行者の眼はあらゆるところを見ている。もっと非衛生な場所もだ。

ひと昔、ふた昔前の中国への旅のことですから、日常生活には欠かせなかった運河の営み、貧しい人々が暮らす運河沿いの家の抒情的な風景の中に、ある種の美を見ているようでした。

こういった感性は日本人の特徴なのかもしれません。

迂闊に中国の人に言うと「馬鹿にするな」と怒らせかねない気がします。

西安

密教の水源に対しての見解では、チベットが「密教」の水源ではなかったのだと知りました。

私はチベットが「密教」の発祥地のように、勝手に思い込んでいましたので勉強になりました。

水源はどうもインドのようでした。

しかもとても意外だったのが、南インドからの流れを汲むような雰囲気が強いとのことです。

お釈迦様が実際に生活した場所はインドの北部ですから、なぜ南インドなんだろう?と不思議でしたが、内容を把握するうちに納得出来ました。

南インドの土着の宗教には呪術的な要素があったようで、それが仏教と融合して仏教の中に「密教」という新しい発想が生まれたみたいなのです。

北インドの文化に呪術的な要素は無く、南インドの文化の影響が強いとの見解でした。

様々の状況証拠に説得力がありました。

時の車輪

「密教」の流れが〈空海〉と遇い、日本に至るまでの経緯

現在のインドでは仏教は影を潜めた宗教ですが、お釈迦様の時代からしばらく後には、インドには仏教文化が花開いた時期がありました。

インドのビハール州〈ナーランダー〉にあった仏教大学には、世界各地から仏教を学ぶ為に僧が集まったそうです。

ナーランダー
ナーランダー

有名な三蔵法師(玄奘)も中国からインドの〈ナーランダー僧院〉に赴き、仏教を学んだ僧侶のうちの一人です。

その逆にインドからも古代中国〈隋〉〈唐〉の大都市〈長安〉に仏教の僧侶が、結構訪れていたようです。

想像する以上に昔の人々は交流が盛んだったことが窺えます。

この〈長安〉には南インド出身の僧侶がいたようで、「密教」とも関係が深そうでした。

〈空海〉が遣唐使の一員として〈長安〉の都に訪れた時は、「密教」は仏教の新しいトレンドだったようで、きっと仏の思し召しなのでしょう、そのタイミングで〈空海〉は「密教」を伝授され、日本に持ち帰りました。

いわば当時最新の仏教だった「密教」を、〈空海〉が日本に持ち帰ったという流れです。

仏像

インドの仏教大学〈ナーランダー〉で様々な文化、風習が仏教と融合し、シルクロードを通って、チベットにも波及し中国に至り、そこでさらに中国的なものが融合したものが、〈空海〉によって日本にもたらされた。

さらに日本でも変容が起こったと考えられそうです。

〈空海〉はそれまでに日本には無かった新しい仏教「密教」を、日本の人々に伝えたカリスマだったのが容易に想像できました。

水源地を出た仏教の水流がそれぞれの地域で土着の文化と融合しながら、日本までやってきたことに歴史の浪漫がありました。

HanaAkari

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