このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。
【アーグラ城塞】繁栄の影に骨肉の争いあり|旅の玉手箱 世界遺産編-2
【アーグラ城塞】
インド、〈アーグラ〉は世界的に有名な「タージ・マハル」のある町ですが、その「タージ・マハル」の近くには、もう一つの見どころとして〈アーグラ城塞〉があります。
〈アーグラ城塞〉は、ムガール帝国、三代目皇帝「アクバル」が、〈デリー〉から〈アーグラ〉に遷都した際に、建てた居城です。
外見は赤い砂岩で造られていて、砂漠の国の気配を感じたのですが、内部には白大理石をふんだんに使用されていたので、いかに富と権力が集中していたのかを肌で感じることになりました。
〈アーグラ城塞〉は「タージ・マハル」を建設した、五代目皇帝「シャー・ジャハーン」の時代まで居城として使用されました。
ムガール帝国の覇の裏には、陰謀、裏切り、工作、身内同士でも骨肉を争う影が付きまとっています。
亡き愛妻の為に「タージ・マハル」を建設した「シャー・ジャハーン」も、息子の「アウラングゼーブ」によって幽閉されてしまう末路がありました。
〈アーグラ城塞〉の一画に「ムサンマン・ブルジュ=囚われの塔」と名付けられた塔がありました。
そこに「シャー・ジャハーン」は、幽閉されたようです。
切ないのは「囚われの塔」からは、遠くに亡き妻の眠る「タージ・マハル」が望めるのでした。
私のような観光者はガイドの説明を聞いて、観光のうんちくの一つとしてフムフムと首を傾げ、写真撮影を楽しんだりするだけですが、「シャー・ジャハーン」はどのような気持ちで、毎日「タージ・マハル」を眺めていたのでしょう。
哀愁の風が吹き抜けていく「囚われの塔」だったのではないでしょうか?
世界遺産〈World Heritage〉とは?
「世界遺産」は「ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)」によって採択され登録された、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」のある移動不可の、文化財、景観、自然などです。
「文化遺産」と「自然遺産」があります。
1978年に最初の世界遺産が12件登録されてから、年々数を増やしています。
日本にある世界遺産第一号は、1993年に登録された「法隆寺地域の仏教建造物(奈良県)」と「姫路城(兵庫県)」です。
HanaAkari