このブログは私がバックパッカーとして、2000年11月~約半年の間に二度目のインド・ネパールの旅で訪れた仏教聖地を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。
【サールナート】「初転法輪」仏陀が初めて説法した地|旅の玉手箱 仏教聖地編-1
【サールナート】
〈サールナート〉は近くにあるヒンドゥー教の聖地〈バラナシ〉の喧騒からは想像出来ないくらい、のどかでとても心地の良い場所でした。
〈ダーメーク・ストゥーパ〉を中心にして遺跡公園になっており博物館もありました。
村の中にはチベット寺、中国寺、日本寺など仏教国のお寺が点在し、そこだけを見ると平和な空間と時間が流れていたのは確かです。
そして、今から考えますと私にとっては人生観を大きく変えていく、「きっかけ」になった場所だったと思います。
なんちゃってバックパッカーとして、あてもなく放浪の旅をしていた私でしたし、旅に出る前もなんとなく生きていたので、仏教がインド発祥ということすらも知らなかったくらいです。
どこかで見聞きすることはあっても、興味がないものはその時は流れていくだけですから、ちょっとした知識を繋ぎ合わせて、連想することすらも出来なかったのです。
インドを旅する中で、〈仏陀〉がインドの人であり、〈釈迦〉と同じ人物だということを知り、その〈仏陀〉にまつわる仏教聖地がインドにはあり、またそこを目的地として観光に訪れる人がいることを知った時も意外な感じがしたくらいです。
つまり、確固たる目的があって旅に出た訳でもなく、漠然とした流れの中で自由に好き勝手に過ごしていた私でしたから、当然、宗教や精神世界などには興味も敬意のカケラも持ち併せていませんでした。
そんな私が、何気にふらっと立ち寄った〈サールナート〉にあった、日本寺「日月山法輪寺」で宿泊しながら、心地良い人々らと日蓮宗のやり方にのっとって、朝夕二回のお勤め(本堂にて団扇太鼓を叩きながら南無妙法蓮華経を唱える)に参加したことから、心の奥底で何かが動き始めることになったのでした。
それは見えない世界への興味の始まりでした。
どうやら悟りを開いた〈釈迦〉が初めて説法をした場所に感化されて、私の中に小さな火種が起こったみたいです。
不思議だったのはずっとそれまで〈仏陀〉とか〈キリスト〉などは遠い雲の上の存在であって、拝んだり、お願いしたりするだけの、実体のない架空の存在のように思っていたのに、あの時に〈仏陀〉は私たちと同じ一人の人間だったということが腑に落ちたことです。
もちろん凄いというのは変わりませんが、崇拝する対象で特別な存在だったものが、一人の凄い人間だと思えたことで、私は目から鱗が落ちました。
私と同じ人間が到達できたのなら、自分にも到達できる可能性があるはず、悟りの境地を開ける可能性だってあるはずだと考えられたのです。
今でも悟りの境地が何のかなんて分からないですが、そんな調子の良い思い込みから人生観を変えていったお調子者の自分を微笑ましく思えるようにはなりました。
二度目のインドへは、〈サールナート〉の〈日月山法輪寺〉が大きく影響しています。
〈日月山法輪寺〉での経験から精神世界に興味を持ち始めた私は、長旅の末、日本に戻ってからは宗教や精神世界関係の本を読み漁るようになりました。
性格的に興味が湧いたものには貪欲にのめり込んで行く傾向のある私ですから、それはそれまでの私を知る人から見ると異様だったことでしょう。
ただ、どれだけ本を読んだからといった、それがいきなり自分の身に付くことはなく、分かったつもりになって頭でっかちになっていく段階でした。
ちょうどインドから日本に戻り、あと一ヶ月ほどで一年になる頃でした。
ある日突然、インド〈サールナート〉の〈日月山法輪寺〉に行きたい、行かなければならないと思ったのです。
思い出したのは、一年前に〈日月山法輪寺〉を出て、帰国する為に〈デリー〉へ向かった時のことです。
ちょうど〈日月山法輪寺〉でお祭りを行うということでその準備に携わりながら、日程の都合で僅差でそのお祭りに参加できませんでした。
帰る時はさほど気にならなかった出来事が、一年後の私に未練がましく訴えてくるのには驚きました。
「今年はサールナートの日月山法輪寺のお祭りに参加しなければならない!」唐突な思いは制止することができず、勢いのまま旅したくを始めると、何もかもが順調に手筈できてしまったのです。
そして、ギリギリお祭りの一日前にサールナートの〈日月山法輪寺〉に到着することが出来ました。
のどかな〈サールナート〉で、再会、出会い、深いお言葉、興味深い話云々。
今になって感じるのは二度目に〈サールナート〉に訪れたことで、私の第二の人生が始まったような節があります。
それは大きな分岐点だったというだけのことですが、なんかそんな感じはします。
別の方向、例えばあの時のことでしたら、二度目のインド行きを選ばなかった場合の先のことは知るよしがありませんから、比較することはできませんが…
しかし、たぶん、それより以前から何かが導いてくれているようで、そういったものを仏教では仏縁と呼ぶのでしょうか。
再会
初めは〈日月山法輪寺〉で修行をしていた同世代のお坊さんとの縁からスタートした〈サールナート〉でした。
一年ぶりの再会でしたが、それ以上に驚く再会がありました。
お祭りに参加するためにネパールの〈ポカラ〉から、ある家族が〈日月山法輪寺〉にやってきたのです。
それは当時修行僧だったKさんが、バックパッカーの時に〈ポカラ〉で宿泊したあるゲストハウスのオーナー家族ということで、とてもお世話になった関係だったので声を掛けてみたらやって来たということでした。
が、私もその方に面識があったのです。
あの時からだと二年くらい前ですが、私が〈ポカラ〉で宿泊したゲストハウスのオーナーでした。
私もその時には大変よくしてもらったので、はっきりと憶えていましたし、あちらも分かったようで驚いていましたが、不思議なご縁でした。
ヒンドゥー教徒のその方々にとって、〈サールナート〉はヒンドゥー教の大聖地〈バラナシ〉から10キロ程の距離にありますから、お祭りへの招待は聖地巡礼のよいきっかけとなったのではないでしょうか?
相当、後日談ですが、そのゲストハウスのオーナー〈ゴータマ〉さんは、ヒンドゥー教の出家僧〈サドゥー〉になったようですから、信仰心の篤い方だったのかと思います。
ちなみに〈ゴータマ〉は〈仏陀〉の本名〈ゴータマ・シッタールダ〉と同じです。
出会い
この時に出会った旅行者間での盛りあがりは、出来過ぎなくらいのものがあったと思います。
大袈裟に表現すると、そのタイミングにあの場所に呼び集められ、それぞれに影響し合いながら何かしらを経験させてもらえたという感じがします。
そして、この時に〈日月山法輪寺〉のボスであった、高齢のSお上人と初めて会いました。
幾人かのバックパッカーが、その人柄に魅了されて弟子となったのも頷けます。
東京の下町出身ということで、江戸っ子言葉のべらんめえ口調で話すものですから、ありがちなお坊さんらしくなく、やさぐれている感じが非常に魅力的でした。
霊的な能力があるような節を言葉の端々に感じましたが、ひけらかすことは無かったのでよく分かりませんが、時に的を衝いたことをポロっと言うのが印象的でした。
お言葉「おのれを信じれるおのれに成れ」
「おのれを信じれるおのれに成れ」
Sお上人が〈日月山法輪寺〉に立ち寄った旅行者たちに、よく話していた言葉です。
お年寄りらしく同じ話を何度も繰り返すことが多かったですが、そんな中に様々な智慧が込められていたのだと思います。
特に戦争体験談をよく聞きました。
あの頃私はまだ物事を深く追求して考えることが出来なかったので、その智慧の多くを見過ごしてしまったでしょうが、一つだけはっきりと胸に刻まれた言葉がありました。
「おのれを信じれるおのれに成れ」それは、何にでも優る格言ではないでしょうか?
「自分のことを信じられる自分になりなさい」
言葉にすると簡単ですが、それは今でも私には一生のテーマのように思え、胸に「おのれを信じれるおのれに成れ」という十字架を刻まれたかのように思えてなりません。
興味深かった話|宗教団体〈日本山妙法寺〉の創設者〈藤井日達〉上人の話。
インドには〈日月山法輪寺〉以外にも、〈日本山妙法寺〉という団体が仏教聖地各地にお寺と仏舎利塔(ストゥーパ)を建造して、ご活躍していました。
こちらもお題目「南無妙法蓮華経」を軸にする、日蓮宗の流れを汲んでいました。
その時のインドでは〈日月山法輪寺〉からの御縁で、そちらのお寺にも宿泊させてもらう機会になりました。
Sお上人が〈日本山妙法寺〉の創設者〈藤井日達〉上人の事を少し話したことがありました。
面識があったようです。
足に問題があり歩行できなかった人に対して、〈藤井日達〉上人が「歩けー」と一喝したら、その人が歩き出したのを目の当たりにしたそうです。
「あれは、たまげたね~」なんて仰っていました。
HanaAkari