旅の玉手箱【迷惑を掛ける】〈インド雑学編-37〉

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このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【迷惑を掛ける】インド人と日本人の価値観の違い|旅の玉手箱 インド雑学編-37

【迷惑を掛ける

インドで受けたカルチャーショックの色々は、非常にショッキングなものから、意外とすんなり受け入れることができること等、様々でした。

私はインドに行ったことで、それまでにあった日本で培った自分なりの価値観に大きな変化が起こったのは間違いありません。

良いか?悪いか?という価値判断を主にしていた私に、それとは違った第三の価値観の存在に気付かさせてもらえたと思っています。

そう思うに至る前には、インド人と日本人の価値観の違い過ぎる違いに何度も唖然としたものでした。

真逆の価値観として耳を疑ったことの一つに、インド人は「人は迷惑を掛けるもの」として生活しているとインドの人から聞いたことがあります。

日本では小さい時から「人に迷惑を掛けないようにしなさい」と教えられ、その常識が身に沁みていた私には、インド人の発想は正反対の視点から見た逆転発想のように感じ、否応なしに考えさせられました。

というのも「人は迷惑を掛けるもの」として考えれば、インドで体験した色んな腹立たしい出来事にも納得がいきました。

例えば、町中を走るぎゅうぎゅう詰めのローカルバスでの移動中に、急ブレーキや悪路からの振動で体勢を崩してしまった場合には、私は出来るだけ他の人に迷惑が掛からないようにと必死で踏ん張りますが、インド人はあまり踏ん張ろうとせず波に身を任せて、平気で他人に寄りかかってきました。

初めは「もっと踏ん張れよ、ムカつくなぁ」と思っていたのですが、おおらかなインド流の価値観からすると、「お互い様ですから」「人間は完璧ではないので、他人に迷惑を掛けないなんてことはあり得ません」となって、何でもないことになってしまいます。

インド バス

「迷惑」を受け入れる以前に、「迷惑」なんてものは無いという発想のように感じました。

日本でいう「お互い様」の精神を前提に暮らしているのかもしれません。

ある時は、珍しくバスの座席に着席していたのですが、後から乗ってきたインド人のおばさんが、何も言わずに私の膝の上に大きなカバンをおもむろに置いたこともありました。

インドではそれが当たり前なのでしょうが、最初はやはり驚きましたし、ひと言もないのが日本人の私には理解しにくいものでした。

もしかしたらインド人にしてみたら当たり前のことに対して、いちいち言葉を付ける必要はないということなのかもしれません。

日本だと配慮が足らないということになって、目くじら立てて怒り出す人もいることでしょう。

なにかそういった所はインド人の方が日本人よりも、精神的に成熟しているのではないかと感じた出来事でした。

インド バス

インド流価値観は、第三の選択肢だと思います。

清濁併せ吞む空気感がインドの社会のようでしたが、この「清濁」とか「善悪」とか、相反することを二つに分離させないで、混沌とさせているのがインドの魅力だったと思います。

「迷惑を掛ける」件にしましても、日本人のように「迷惑を掛けないように努める」ことは決して悪いことではないものの、そういった価値観に固執し過ぎると、価値観が違う人がいて、誰も完璧でない人間社会では、必ず対立が起こってしまいます。

インド人のように「迷惑」そのものの発想を無くしてしまうようにすれば、対立すること自体、起らないのではないかと思いました。

夜明け

風土の違いもありますから完全には受け入れられなくても、「人になるべく迷惑を掛けないように努めながら、他人の迷惑には、おおらかであろうとすること」を意識すれば、日本人が得意なハイブリッドな着地地点が見つかるのかもしれません。

HanaAkari

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