「稲穂が米粒が実って行く程に垂れ下がっていく様から、人として円熟している程、謙虚である」という言葉です。
あれこれ頭で考えることがあっても、本当に心の底から感謝の気持ちが起こった時には、自然と頭が下がることがあります。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【実るほど頭の下がる稲穂かな】円熟する謙虚さ|言葉の小槌107
【実るほど頭の下がる稲穂かな】
「稲穂が米粒が実って行く程に垂れ下がっていく様から、人として円熟している程、謙虚である」という言葉です。
そうありたいと思います。
私なんかは「人に簡単に頭を下げたら負けだ」という風に考える癖があって、全く真逆のような高慢ちきなところがあります。
時にそれが自分を自分で苦しめてしまい、「ああ~、またやってしまったぁ~」「どうしてこんなに意地を張ってしまうんだろう」などと、しょっちゅう反省しています。
人の裏を勘ぐって見てしまうところが、なかなか素直になれずにいる要因なのかもしれません。
かといって生きていく為に、まるで「米搗きバッタ」のようにペコペコと頭を簡単に下げることが出来ませんので、困った性分です。
「実るほど頭の下がる稲穂かな」
自然と頭が下がるところに本物の実りがある言葉で、重みのある言葉です。

心の底から感謝すると、自然と頭が下がります。
あれこれ頭で考えることがあっても、本当に心の底から感謝の気持ちが起こった時には、自然と頭が下がることがあります。
それは誰かに対してなのか?友人、周囲の方々だったり、大自然に対してなのか?ふと見上げた青空にある雲、心に沁みる夕陽、ささやくようなそよ風、なんでもそうなります。
でもやっぱり人間なので、人から受ける優しい気持ちや、損得勘定抜きの愛とかを感じた時には、目頭が熱くなり、自然と頭が下ることが多いようです。

おそらく常日頃から一時のことでなく、そういった感謝の気持ちで日々を送っている人が、「実るほど頭が下がる稲穂かな」の人なんだと思います。
きっと特別な感情が訪れた時だけでなく、自然に身に付いてゆき、心が感謝に実って行く程に自然と謙虚になってゆくのでしょう。
虚勢を張って、天に唾を吐く勢いでいるつもりでいても、抵抗出来ずに、ぐぐっと頭が下がることがあったりしますので、素直に受け止めた方が自然で楽なのかもしれません。
私はつい意地を張ってしまいがちですが、自然と頭が下がった時は心が満足してくれているように思います。
HanaAkari