夢でも現実でも自分にとって都合のいいものは嬉しいですし、都合の悪いものはノーサンキューです。
中国古代の思想家「荘子」の思想をよく表した「胡蝶の夢」の話に、夢と現実の境が分からなくなるという、煙に巻かれるような話があります。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【夢か現か】人生は都合により、胡蝶の夢のよう|言葉の小槌109
【夢か現か】
とても受け入れがたい現実を目の当たりにすると、夢であって欲しいと思ったりします。
その逆で夢枕の記憶がとてもいいものだったりすると、現実のことであったらいいのにと、誰しも思ったりすると思うのですが、悪夢の場合は夢で良かったと胸を撫でおろしたりと…
夢でも現実でも自分にとって都合のいいものは嬉しいですし、都合の悪いものはノーサンキューです。
個人的に夢は美しい方が素敵だと思いますので、パステルカラー調でほのぼの癒される感じを希望しますが今の所、夢を自由自在に創り出して見ることが出来ないのが残念です。
極度に疲れた時などは、何が現実で夢なのか分からないような状態になったりします。
夢と言うのか極度の睡魔との闘いが起こっている時には、ふと眠ってしまってハッと目が覚めた時なんかは、一瞬何が何だか分からなかったりします。
ここは何処?私は誰?です。
私は若い頃、大変な寝不足状態で車を運転して帰宅していたつもりが、救急車の音がして気が付いた時には血まみれだったことがあります。
しかも居眠り運転状態で、知らないうちに自宅とは逆方向に向かって走っていたうえ、激突していて車はお釈迦、私もしばらく気絶していたようです。
これは悪夢のような事ですね。
無理がたたると碌な事がないという教訓になりましたが、命があっただけでも有難いことですが、夢であって欲しかった出来事でした。
胡蝶の夢
中国古代の思想家「荘子」の思想をよく表した「胡蝶の夢」の話に、夢と現実の境が分からなくなるという、煙に巻かれるような話があります。
私は夢の中で蝶になり、ひらひらと飛んでいました。
そして目が覚めたのですが、はたして自分は蝶になった夢を見ていたのだろうか?実は夢の中の蝶が本来の自分であって、今の人間の姿は蝶が見ている夢なのだろうか?
一体どちらが本当のことなのだろう?といった神秘的な美しい話です。
「荘子」は「老子」と並んで現代「老荘思想」と呼ばれる思想を展開した方ですが、「無為自然」という概念が基本にあります。
「無為自然」=「自然のまま」「ありのままに生きる」
自然と共に、宇宙の法則のままに素直に生きるといった感じでしょうか?
俗っぽく言うと、ゴチャゴチャ考え過ぎずに素直に生きようということなのかな?
HanaAkari