ふとした拍子に傷跡に指が触れたりすると、治ったはずの傷が一瞬、思い返されたりします。
傷は癒えたと思っていても残っている傷跡は憶えているようで、少し疼き出すのです。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【傷は治るが傷跡は残る】傷跡は勲章のようなもの|言葉の小槌121
【傷は治るが傷跡は残る】
怪我をしても余程の大きな怪我でない限り、傷口はふさがります。
しかし、治った後には傷跡が残ってしまいます。
ふとした拍子に傷跡に指が触れたりすると、治ったはずの傷が一瞬、思い返されたりします。
ましてや秋も深まり落ち葉の季節になると、なおさら感傷的になって思い出しやすくなったりするものです。
それは心の傷にも同様だと思うのです。
もしかしたら同様どころか、それ以上の影響があるかもしれません。
黄色く色付いたポプラ並木からガサリと、乾いてシワシワになったポプラの葉が落ちてきた時などは、心の傷さんには大好物の光景なのかもしれません。
センチメンタルのスイッチが「入」になる瞬間です。
傷は癒えたと思っていても残っている傷跡は憶えているようで、少し疼き出すのです。
特に秋のポプラの並木道は曲者ですね(笑)
ある意味、傷は完全には消えないのかもしれません。
消えないのならどうすればいいのでしょうか?
辛いけど傷跡と共に生きるのが一つの方法なのかもしれません。
記憶から忘れ去るように封印するということも出来そうですし、記憶喪失のようにそのようなことも時には起こりそうですが、隠しても癒えていなければいつか出てきて悪さをするかもしれません。
でしたら、傷は必ず治るのですから、後に残った傷跡を勲章のように称えてみたらいいのかもしれないと思いました。
どうせ無くならない傷跡なら、それはそれとして堂々とすればいいことのように思います。
時には自ら傷跡に触れて、そこから智慧を感じ取ったり、優しさを思い出したりしてみる道具にできればこっちのものです。
そして堂々と、日が暮れてオレンジ色の街灯に照らされた、秋のポプラの並木道を歩いてみよう。
そこは感傷に浸りながらも優しさに包まれた、まるでパリの散歩道かのよう思えるかもしれません。
センチメンタルを味方に付けて、しなやかに紅葉の道を散歩しよう。
傷跡は心身ともに勲章のようなものです。
HanaAkari